幸福ロケット

幸福ロケット

幸福ロケット

「幸福ロケット」山本幸久(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、児童部文学、恋愛


冒頭から、主人公である少女の悩み。誕生日がクリスマス・イブ、名前が少し気に入らない、そして仲の良すぎる両親。この瞬間、この本の世界に引き込まれた読書少女は多いだろうなぁ。思春期の少女にありがちな他愛ない悩み。ほんの1年前デビューしたばかりの新人作家山本幸久は次々と新作を発表、日常の些細な光景、しみじみと心温まるような作品、そうした路線をしっかり自分のカラーにしている。
大きなヒットは難しいものの、適度なうまさでまとめれば間違いないジャンル。作家の売らんかな、感動させようかなといったあざとさが見えると途端に薄っぺらくなってしまうのだが、勿論この作家はそんな愚は犯さない。正直、ちょっとズルいよなぁと思わなくもないのだが安心してヤラれてしまう。そういう意味で、小ずるく巧い。いえ、これは褒め言葉。でも、もう少し冒険してもいいのでは、またもや読者は勝手なことを言い・・です。

小学校5年生の香な子のお父さんはある日会社をやめて、お母さんの家がやっている工務店に就職した。おかげで、香な子も文京区の小石川から、おじいちゃんが工務店をやっている葛飾区のお花茶屋に引っ越し、転校となった。丁度、クラス替えの4月に転校したため、転校生という特別な目で見られることはなかったものの、新しい街はなんとなく平べったくて、ちょっとがっかり。そんななか隣の席の男の子コーモリこと小森とふとしたことで親しくなる香な子。ある夜、電車で通う進学塾の帰り道に偶然出会った小森。お母さんが入院しているという。そんなことで香な子の家で夕食を食べることに。そんな小森にほのかな想いを寄せるクラスメートの町田さん。担任の鎌倉先生は昔モデルをしていたこともあるらしく美人で、でもさっぱりきっぱり竹を割ったような性格。香な子と小森の話から鎌倉先生に興味を抱く、自称マンガ家、香な子のオジサン。温かな、優しい人々に囲まれた香な子と、小森の恋愛未満のほのかな想いの物語。そしてまさかのラスト。香な子と小森の関係はどうなる?

たぶんこれは児童文学。作家は、まずこの作品の主人公である小学校5年生を読者対象に意識して書いたと思われる。しかし、そうだとすると漢字の使い方、ルビの振り方、言葉の使い方にちょっと疑問が残る。最近の児童文学をきちんと読んでいないので、なんともいえないのだが、小学校5年生の子どもがふつうに読むにはちょっと難しいのではないか。作品に描かれた子どもの姿は、まさしく小学校5年生をリアルに感じるのだが、その年代の子だと、ちょっと背伸びした読書好きな、まさにこの本の主人公、香な子のような子でないと読めない、読まない。その部分は児童文学という評価をしたとき少し減点か?。おそらく中学生くらいの年代からふつうに読める作品だと思うが、中学生にとって、このリアルな小学5年生の姿はどうなのだろう。小学生高学年の女の子の恋愛未満のほのかな想いは、中学生の読者にはほんの少し前の自分に共感するところはあっても、まさにこれから恋愛を夢見る少女たちにとっては少し歯がゆいではないのだろうか?
で、結局はこの作品、大人が読んでニヤニヤしたり、心温まったりして、最後は山本正幸はいいという結論になってしまうような気がする。
この作品が小学5年生の男女をとても生き生きと描き、また彼ら彼女らを囲む大人たちも含めて、とても温かな世界を描いたことは認める。でも、結局それは大人の読者が読んで「良い作品」と表するレベルであり、この作家が狙った(と思われる)児童文学のそれとしてはどうなのだろうかと思わせる点がどうしてもひっかかる。さらに穿った見方をすれば、( )(カッコ)を使い、主人公に同年代の読者向けに語らせる注記のテクニックをも含めて、一見すると児童文学を思わせながら、実はその形式だけを借りた、児童文学のスタイルに仮託した「小説」なのではないかと思えなくもない。そうだとすると巧いけどズルイ。いや、これは流石というべきか。

ただ児童文学であれ、小説であれ、この作品について、ぼくは巧く、温かな作品であり、良い作品であることは認めるがそれほど評価を高くしない。そのスタイルのせいかもしれないが、いまひとつ深みが足りない。登場人物の姿は大人も子どももとてもリアルに描れてているかが、深く突っ込んではいない。もちろん、心の奥底までを書くのがすべてではないのだけれど、事象にのみ引きずられ、あるいは描かれ、主人公たちの心の悩みを感じ取れない。主人公に同化して想像しろというのかもしれないが、10代ないし20代の読者であればそういう読み方もできるのだろうが四十歳のぼくはオッサンだからさ。例えば、塾でイヤミな友人に父親のことで嫌な噂を仄めかされる場面についても、もっと自分が若い年代であれば主人公に同化してどきどきしちゃうんだろうけどなぁと思いながら冷めた目で読んでいる。そんな自分を意識していたりするワケだ。これは読み手の問題だが、この感想・レビューはもともと主観が前提だから仕方ない。ぼくはこの作品から、この小学校5年生の恋愛未満の仄かな思い、胸のうずきをもっと伝えて欲しかったんだと思う。こうふと気づくと隣の子は気になる異性だった、なんだか自意識過剰になって、ふつうのことが恥ずかしいってところをね。この作品のなかのコーモリの台詞「俺の未来に山田がいて欲しいなあ」はちょっと出来すぎ。こんなことよほど自分に自信を持っているバカで気障な奴か、まったく何も考えていない奴のどちらかでないと言わないし、言えない。異性を意識した男の子が口にできる台詞ではない。だから、ここで感動しちゃいけない。逆に最後の彼のの台詞はとてもリアル、そしてこの言葉を最後に持ってきたことが作品を締めた。彼が最後に言った台詞の裏側にある、想いが素直に読者に伝わる。嬉しかったよね、香な子ちゃん。
この物語の未来を読みたいという想いを、多くの読者は抱くだろう、そしてそういう意見も幾つか見た。でも、ここから先は読者の想像でいいんじゃないかな。自分の未来を見つけるために塾に通う香な子、コーモリとのその後。それは明かされるより想像のなかのほうがぼくはよいと思う。もちろん気になるのだけどね。

山本幸久については、どうもこうつい辛口っぽい感想ばかりになってしまうのだが、決して評価していないワケではない。あともう少しを引き出すことができれば、この作家もっとスゴイのではと思わせる余地というか余裕が見え隠れするぶん、期待を込めて語ってしまうわけだ。ぜひ、これからも頑張っていい作品を書いて欲しい。ただ、あるレベルを常に維持することも職業作家としては当たり前なのかもしれないが、たまにはハズレがあってもいいから、ホームランも欲しい。手堅くコツコツと安打を重ねているのは認めるのだけれども、。いぶし銀のように堅実な作家というものを認めないわけではないのだけれども、。
新人作家としての山本幸久にはまだまだこれからを期待したい。


蛇足:最後の場面、他の方のネットの感想で先にネタバレしちゃってちょっと残念だった。まさしくこういう物語の想像通りの展開で、本人もネタバレのつもりもなかったのだろうけれも。ぼくも自分の感想・レビューでは気をつけなければと思った。
蛇足2:香な子のオジサンの自由度は、「せちやん」(川端裕人)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/8650880.html ]、いや「アーリオオーリオ」(絲山 秋子「袋小路の男」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/8086516.html]収録)の叔父さんを彷彿させる。もっともこちらの作品のオジサンはその二作にあった孤独をかんじられないのだが・・。