つばき時跳び

つばき、時跳び

つばき、時跳び

「つばき時跳び」梶尾真治(2006)☆☆☆★★
※[913]、現代、小説、SF、時空もの、江戸時代


曽祖父の時代に買った、熊本市の郊外にある古い屋敷「百椿庵(ひゃくちんあん)」に住む、三十歳を過ぎて独身の歴史作家である私、井納惇。四百坪を越える敷地のほとんどは庭で、多くの樹木のなかでもとくに椿が多いこの屋敷に私が住むようになったのは、岡山でメーカーの支店長をする父親からの申し出であった。父はこの家に愛着を持っており、定年になったら住むつもりだった。しかし放っておけば家は荒れる。私に住んでもらい、家の手入れをしてもらいたいとのことだった。大学卒業後、一般の会社に就職し、趣味で書いた小説が入賞して以来、不安定な収入の専業作家の道を歩んだ私にとって、それは願ってもない申し出であった。
「百椿庵」には幽霊が出る。女の人にしか見えない女性の幽霊。庭の観音様は、ひいお祖母さんが、あまり幽霊がでるので鎮めるために建てたそうだが、効果はなかった。私も、お祖母さんも、父さんの妹も見たと言っている。でも惇は男だから大丈夫だね。岡山の母が様子を電話で伺ってきた。そんな幽霊と私が出会うことになるとは。
私が出会った幽霊の正体は「つばき」という江戸時代にこの家に住んでいた女性であった。この家にはなにかの力があるのだろうか、彼女は150年のときを経て突然私の前に現れた。そんな彼女にとって、現代は想像もつかない世界であった。「百椿庵」で始まる、私とつばきの生活。しかし、ある日つばきは過去に引きもどされてしまった。私が不用意な外出を一緒にしてしまったばかりに。
つばきを失い、落ち込む日々を過ごす私。しかしある朝、私はあの感覚が蘇った。そして今度は私がつばきの住む江戸時代に飛ばされてしまったのだ。150年前、江戸時代でのつばきとの百椿庵での生活。そこにはかってりょじんさんという人がいたらしい。そしてりょじんさんもある日また消えてしまったという。果たして私とつばきの生活はどうなってしまうのだろうか・。


「削除ボーイズ0326」(方波見大志) [ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/45385133.html ]のレビューで、ぼくはタイムパラドックスやタイムマシンものがあまり好きでないと述べた。よほど巧く書かないとご都合主義に陥りやすいジャンルだからだ。そして本書はまさしく突っ込みどころ満載のそのジャンルの作品である。好きな作家のひとりである梶尾真治。ぼくが彼の作品に出会ったのは「OKAGE」であり、「黄昏がえり」であった。彼の作品の詰めの甘さは気になるものの、そのほのぼのと心あたたまるハートウォーミングの物語を評価してきた。いっぽう実はその方面の彼の作品を今に至るまでに読んでいないのだが、梶尾真治の得意とする分野がまさにこの時間をテーマにした作品である。最近、図書館のホームページから新刊ばかりをインターネット予約で借りていたのだが、今回、たまたま図書館の書棚を覗いたところ、本書に出会うことができた。


いい意味で相変わらずの梶尾真治らしい作品。あたたかな大人の、礼儀正しい想いの物語。ひとつ屋根の下で想いを寄せ合いながら暮らす二人の男女が、身体を交わすことなくただ想いあうだけ。ある意味、いまどきの大人の小説として珍しく、こどもにも安心して読ませることができる一冊。時空を越え礼儀正しく恋する主人公とつばきの優しく、温かく、そして切ない物語を評価する作品なのだろう。まさにカジシンらしいハートウォーミングな一冊。レビューもそこまでにとどめておくべきなのかもしれない。タイムパラドックスの部分や、つばきの現代での生活、あるいは主人公の江戸時代での生活など、突っ込みはじめると切りがなくなるだろう。
辛口、偏屈を標榜するぼくではあるが、以前から語ることようにカジシンには甘い。この作家の持ち味は「ハートウォーミング」であり、緻密な物語ではないのだと割り切ってしまう。
しかし残念ながら、やはりオススメとはいえない。もう少しが足りない。
願わくばこの持ち味を生かしつつ、もう少し緻密な作品をカジシンに期待したい。この作家の持つ素朴な温かさは大好きなのだが、何か物足りないものを感じるのも事実だ。それが残念。


蛇足:この「つばき時跳び」というタイトル、そして「百椿庵」という屋敷の命名は秀逸だと思う。