天涯の砦

天涯の砦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

天涯の砦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

「天涯の砦」小川一水(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、未来、小説、SF、宇宙、レスキュー、遭難


もし助かっても、このメンバーにまた会いたくなるとは、あまり思えない。
だが、まあ、生きている。(p259)


ネットの本読み人仲間ざれこさんのブログ「本を読む女」で見かけた本書。正直に言えば、かなり辛い読書であった。冷静で緻密な筆致で描かれるのは、まさに夢や御伽噺ではない、ありうるという意味でのリアリティーに溢れた世界。一般の読者向けというよりも、かなりコアなSFファンを対象とし、彼らを納得させられる記述。それは宇宙ステーションに起こった爆発事故。宇宙ステーションの一画は吹き飛ばされる。宇宙に漂流する宇宙ステーションの残骸のなかでのサバイバル(生き残り)の物語。
しかしこの作品はあまりに冷静で緻密で、抑えられた筆致で物語が書かれるがゆえに、通常こういう作品に一般の読者が期待するような盛り上がりには欠ける。勿論、それが悪いというわけではない。いたずらに無意味なリミットタイムを設定し緊迫感を煽る作品より、この作品に書かれるよほどあり得る状況は、坦々とした臨場感を感じることができる。その分じわじわと感じられる迫り来る死への恐怖。個人的には否定はしないエンターテイメント作品の、ただおもしろさを追求するだけの、あまりにもタイミングよく畳み掛けるように起きる多数の連続事件に感じる「嘘っぽさ」よりはよいのかもしれない。しかし反面、この作品では起こるそれぞれの事件の解決に爽快感を感じない。現実にありうることは、現実同様に決してすべてが爽快な解決をもたらすわけでない。またドラマチックでもない。そこのところをどう評価するかで、この作品の評価は変わるのだろう。


惑星間航行士の試験に落ち、宇宙ステーション「望天」に戻ったばかりで劣等感にさいなまれている「軌道業務員」という雑務要員を職業とする二之瀬英美が主人公。「望天」は地球と月を中継する軌道ステーションであり、ここから月への旅は始まる。
月往還船である「わかたけ」をつないでいた「望天」に、予期せぬ爆発事故が起こった。「望天」の回転を支える中心軸の軸受(ベアリング)に使われていたグリスが、ベアリングの材質と合わないものであったのだ。それと知らぬ間に使われ続けた年月は、軸受けの内部の侵食していた。そして不具合の対策をはじめたところに起きた事故であった。
事故の結果、主人公の居た第四扇区は「わかたけ」をつないだまま宇宙ステーション本体より離れ、宇宙を漂流することとなった。無数の死体が浮かぶ「望天」の残骸であったが、隔離された気密区間のいくつかには生存者がいた。空気ダクトを通し連絡を取り合いながら、生存の道を探る彼ら。それぞれにそれぞれの過去を、人生を背負う彼らは、しかし生き延びるために協力はするものの心から打ち解けあうものでもなかった。
生存の優先順位をつけようと発言する高い技術を有する医者田窪章吾。彼は、その技術と己の仕事に対する自負よりあるスキャンダルに巻き込まれた。露出度の高い扇情的な格好をし、同室の青年をからかう大金持ちの娘キトゥン。両親よりお金は与えられていたが、愛情を知らない娘。キトゥンにからかわれるのは、貧乏でお金がなく苦労しているが、己の頭脳の優秀さのみで苦境を乗り越えてきた青年、大島功。そして彼の心に浮かぶ昏い思い。また、ある理由から地球のレスキューオペレーターの仕事を離れ、月へ向かう女性、長柄甘海。「望天」の事故により両親と離れ離れになってしまった幼い兄妹、佐久間啓太、風美。そして「わかたけ」のブリッジに一人生き残る謎の青年久我山徹夜。また「わかたけ」の機関室に残っていた機関士門前洋一郎のとる行動とは?
壁一枚隔てれば、真空の死の世界が待つなかで、負傷しながらも生き延びる道を探る人々。
そしてまた彼らをのせた宇宙ステーションの残骸が、大気圏内への突入軌道にのってしまっていることがわかった。このままでは大気圏に突入し、焼け焦げて消失してしまう。果たして彼らの運命は?


ぼくにとって、この作品は「よくできた作品」であったとは思うが、「よい作品」だったとはいえない。本レビュー冒頭に取りあげた書いた本作品のなかの一文。宇宙ステーションの爆破、その一画の漂流による危機的状況をともに乗り越えた人々は(蛇足的エピソードの約一名を除き)それぞれ理性を失わず生きることを目的に力を合わせる。しかしそれでも「また会いたくなるとは思えない」仲間たち。現実は、もしかしたらそんなものかもしれない。同じ危機的状況を乗り越えたとしても、ひとはそう簡単に心を通わせられるものではないのかもしれない。リアリティーという点でこの作品を評価はしよう。しかし、やはり「物語」としては正直つまらない。ありがちであっても爽快感(カタルシス)が欲しい。理解しあい、思いやる仲間たち。そういう意味で大金持ちの扇情的な娘に対し少年がとった行動やその後の展開も、もう少し気持ちのいいものにしてほしかった。また生き延びる物語のなかにおいては機関士門前洋一郎のエピソードは余計に思える。こういう要素もありうるのだろうが、このリアリティーある作品のなかでこのエピソードだけが浮いているような気がした。極限状況において、彼だけはひとりで生き延びることができると思っていたのだろうか。生き延びる光明が見えるまでは、かりそめにも協力する姿勢を示しているほうがリアリティーがあるような気がする。彼の行動はこのリアリティーあふれる作品のなかで、唯一「お話し」じみていて残念だ。


総体として辛口の評価となってしまっているが、この作品は最後のエピソードまで読んではじめてよい作品だと思えた。それはあの青年のエピソードであり、蛇足気味の主人公のエピソードではない。ありがちなのかもしれないが、希望が見えるような気がした。あぁ、ぼくはやはり「物語」が好きなのだ。
決して悪い作品ではない。ネットでも好評を多く見かける。ただぼくにはネットの各評で書かれるほどの緊迫感は感じられなかった。どちらかというと閉塞感や、虚無感、無力感のようなものを感じたのだが、いかがだろうか。