僕たちは歩かない

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「僕たちは歩かない」古川日出男(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、26時間、東京、山手線


※少しネタバレあり。未読者は注意願います。


2時間多い東京で出会った僕たちの物語。


読みやすい古川日出男。常々ぼくは古川日出男について、「物語」ではなく、文体。選ばれた言葉の奏でる旋律(メロディー)、律動(リズム)、そして彼の思考の紡ぐ模様(パターン)だ、と述べてきた。理解する(わかる)のではない、身を任せるのだ、と。
さて本作、かなり薄い一冊。幾つかの短い章から成る中篇。正直に言おう、古川日出男にしては、かなり読みやすい作品。
この作品に古川日出男のリズムはたしかにある。そしてぼくは嬉しかった。あぁ、これだ。このリズムが古川日出男であり、そしてぼくはこのリズム好きなんだ。
しかしこれはなんというか、灰汁がない。とても読みやすく、かつわかりやすい。
古川日出男は「物語」でないと先に述べたが、この作品は「物語」である。そして、なんというかありきたり。
古川日出男の近著「ルート350」に収められていた「メロウ」というRPGロールプレイングゲーム)ノリの作品があったが、それに近い。ある共通項で仲間になった主人公たちが行なう冒険。そこにはまさにRPGのような、お約束の条件があった。


それぞれ、ふとしたきっかけで2時間多い東京に辿り着く僕たち。その2時間の東京で僕たちは<研究会>を作り、お互い切磋琢磨する。僕たちはシェフにはまだ成れない、調理人たちであった。ある日、<研究会>に出てこなくなった仲間が事故で死んでいたことを知った僕たち。その仲間に会うために僕たちは冥界への冒険に出た。ひとつだけ条件があった。
一度も足をつけないこと。
一度も地面に、足をつけないこと。
異世界に繋がる電車に乗り、車椅子を、自転車を、使い僕たちは走る。目的地に向かう。そして目的地に辿り着いた僕たちが選ぶ、あるいは選ばされた、結論。


残念ながら前半にあった幻想的な雰囲気(ムード)と驚きが、中盤以降薄くなってしまう。文体のリズムは変わらない。しかしありきたりの、分かり易い物語に堕ちてしまったことが、冗長を生む。
「冥界」ってなんだよ。「古事記」じゃないだから、死んだ女性は姿を見せないはないだろう。「それらしく」設定される「二十二時二十二分二十二秒の電車」も興ざめ。そこまで厳格に設定してはいけない。ファンタジーよろしく、設定を厳密にしたことが作品世界を狭めてしまった。あるいは逆にリアリティー(本当らしさ)を欠如させてしまった。そんな気がする。<研究会>の仲間もなんだか多すぎるしね。秘密はやはり「限定された」、顔の見える仲間だけにして欲しかった。


本書の場合、ファンタジーを築くより、作品冒頭にあったようなほんの少しの「ズレ」に気づく程度のポエティックな雰囲気だけでよかったのではないだろうかとぼくは思う。


しかし評価は☆四つ。実はこの作品、あまりに薄く三回も読み直してしまったのだ。☆四つは最初に受けた、リズムの心地よさ。何度も読み返す作品じゃないのかもしれない。


さて、そんなぼくが震えた部分。
まず第一章「僕たちは雪を食べる」の最後(P29)


これが素材なんだな?と誰かが言った。
 それから僕たちは、その雪でデザートをこしらえるために、それぞれにインスピレーションをほとばしらせた。なにより、その前に、僕たちはだいたいみんな手のひらで雪を(舞い降りるさなかの、その白いものを)受け止めて、味を確かめた。
 僕たちは、雪を。


この分断され、切断された文章で終わること。「僕たちは、雪を食べた」でもなく。「食べた。僕たちは雪を」でもないこと
そして第三章「僕たちは悲しい物語を知っている」(P61)


仲間の死も知らずに・・・何日も何日もいただなんて。
そんな。


ここは実は僕が錯覚して震えた箇所。ここでこの章が終わったと誤解して、うわっ、すげぇ、と思ったのだ。しかしこの章はここで終わらなかった。残念。古川日出男なんだから、ここで分断、切断すべきなんだと、ぼくは勝手に思う。
あぁ、やっぱり古川日出男は「わかりやすくて」はいけない。この作品はもしかしたら古川日出男の入門書としては読みやすい一冊なのかもしれない。しかしここに本当の古川日出男がいるかは疑問だ。ならば入門書として妥当なのか?そもそも「古川日出男」に入門書なんて必要なのか?
装丁が素敵な一冊。プレゼントブックには最適な体裁なのだが、それをオススメはしない。
なぜか?
ここに本当の「古川日出男」はいないから。
あ、そうすると☆四つは間違い?