最愛

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「最愛」真保裕一(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、家族愛、姉弟愛、前科


ネットで、真保裕一にしてあまり良い評価を得ていない作品だなと思いながら読んでみた「最愛」。う〜んん、これは。・・・・・。
何を書きたいのか、訴えたいのかよく分からない作品だった。


小児科医を勤めるぼくのもとに、ある日一本の電話が警察から届いた。18年間音信普通だった姉が、事件に巻き込まれ瀕死の重体にあるという。幼い頃、両親を事故で失ったぼくら姉弟はそれぞれ別の親戚の家に預けられ育てられた。ぼくらが育つ年月の間に、ぼくらが預けられたそれぞれの親戚の間に、祖母の遺産を巡る諍いがあり、ぼくらは連絡もとりあえない状況になっていた。そしてぼくに気を遣い、自分の子供として養子にまでしてくれたぼくの家庭環境と、自分の居場所を見つけられなく養家を飛び出した姉との環境には大きな違いがあった。
入院する姉のもとに辿り着いたぼくは刑事から驚くべき事実を知らされた。姉が事件の前日に結婚をしており、新婚のはずの夫の行方が知れないこと。そして、その夫に殺人の前科があること。
最愛の姉を襲った事件について、そして行方のわからない結婚したばかりの姉の夫について知るために、姉の部屋に残された僅かな年賀状を頼りに、ひとり調査を行なうぼく。そこにはかってぼくの知っていた弱い者の味方になり、何者も怖気づくことなく立ち向かう姉の姿があった。
果たしてぼくは姉を重体に至らしめた事件の真相に辿り着くことができるのか。姉の夫となった人に出会うことができるのだろうか。


レビューを書くのが久しぶりだ。三月末から始まった仕事の多忙が、四月に入り頂点を極め、毎夜終電近く、ときに会社に泊まり、休みは勿論なく、実質三週間を過ごした。書けないことは仕方ないとしても、読めないまでに到る忙しさは長年の人生を通して初めてともいえる経験だった、正直二度としたくないである。さてその間読んだ本もあるが、とりあえずレビューは今朝読み終えた本作品を書いてみよう。


この数ケ月、ミステリーらしいミステリーをどうも評価できない傾向が続く。きちんと明かされる、解かれる謎という物語にどうも胡散臭さを感じるようになった。本作について冒頭で最後まで読み終えて、結局何を訴えたいのかわからない作品と述べたが、読んでいる最中もこの「ミステリー(謎解き)」というものに違和感を覚えて仕方なかった。医師として、あるいは人間として、自分がまだ「大人」になりきれていない「ぼく」という主人公がひとり、姉の部屋で見つけた数少ない手がかりをもとに、行方のわからない結婚したばかりの姉の夫を捜す物語にどうにも違和感を覚えるのだ。悪いほうに安定している姉を置いて、捜査ともいえるような緻密な調査を続ける主人公。電話の繋がらない相手には直接出向き、そしてある情報から繋がる情報。最後に辿り着く真相。まさに王道を行く「ミステリー」である。しかしその玄人はだしの調査にリアリティーの欠如を感じてならない。まさに「お話し」を感じた。そしてその調査という行為自体の原動力となるのが、最後まで読んで始めて明かされる「最愛」の姉の為、あるいは音信普通の時間のなかの姉を主人公が知り、その欠如を埋めるという理由なのだが、その最たる理由の姉への「最愛」にもリアリティーを感じることができなかった。18年間音信普通となっていた姉に対していまさら「最愛」と主人公が語ってもとってつけたようにしか思えないのだ。それが主人公にとって正面から見つめることが難しかった、目を背けていたかった過去であればなおのことであり、いまさら「最愛」を述べられても正直困るのだ。いや「お話し」の設定ならば道理が通らない訳ではないないのだが、なんか安っぽいメロドラマを見せられているようなそんな気分がした。少なくともぼくが真保裕一に求めるものではなかった。いや読書に求めるものではなかった。
あるいはリアリティーの欠如という点で言えば、主人公の調査の途中、行方のわからないまだ見知らぬ姉の夫の携帯電話の留守番電話に妄想とも言える思い込みよろしい、主人公の推理、思いを訴える場面も興ざめであった。思いが逸り、訴えずにはいられないのかもしれないが、この主人公の推理がまったく真相とほど遠いものであったら、赤面ものだなと妙に覚めた目で眺めてしまった。


結局、謎はすべて明かされるわけだが、ならば主人公の小児科医の設定や、あるいは主人公がいま付き合う女性の設定になんらの意味があったのだろうかと思わずにはいられなかった。ぼくはこの作品をあまり評価しない。かって罪を犯したことのある弱きものを描きたいという意味でこの作品は書かれたのであろうか?それを訴えるには何かが不足しているような気がする。


蛇足:この作品について、ミステリーという作品においてはそのリーダビリティーの高さと強引な「ミステリー(謎とき)」に東野圭吾の作品を連想させられた。また過去を背負った女性を描くという意味で、昨年読んだがレビューを書きあぐねたままの「嫌われ松子の一生」(山田宗樹)も想起させられた。
また真保裕一自身の作品「奇跡の人」に感じた居心地の悪さを再び感じた。
「前科」というキーワードはこの先、真保裕一の作品のテーマとなっていくのだろうか?個人的には同じ「前科」を扱った真保の作品「繋がれた明日」は同じテーマの東野圭吾の「手紙」より買うのだが・・・。