天使の眠り

天使の眠り

天使の眠り

「天使の眠り」岸田るり子(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、親子愛


京都の医学大学で基礎医学の研究室で研究に勤しむ秋沢宗一(あきざわそういち)は、研究室助手の結婚披露宴の席で、二度と会うことのないと思っていた名前を見つけた。亜木帆一二三(あきほひふみ)。その変わった名前の持ち主は13年前、宗一がまだ北海道の大学院生であったころ激しく愛しあい、しかしある日忽然と姿を消してしまった女性であった。
披露宴の間、宗一の目を釘付けにしたその女の姿は、しかしもし同じ人物であるならばもう中年であるはず。しかしその姿はいまだ20代の若さと美貌を持っていた。また記憶のなかの彼女とは顔かたちが違う。だが彼女の名札の横には一二三とは別姓の、亡きアイルランド人の夫との娘と聞かされていた当時まだ幼かった田中江真の名前とその姿もあった。タクシーで帰ろうとするその女性に声をかけた宗一に返ってきたのはあのころと同じ呼び方「しゅうさん」であった。やはり彼女はあの一二三なのか。
一二三のことが気になる宗一は、結婚を前提につきあっていた同じ研究室の大原時子と別れ、一二三のことを探るようになった。そして彼女の家の近くで、同じように一二三の様子を探るひとりの男と知り合う。佐伯と名乗るその男は、弟を一二三に殺されたと言う。40歳近くのあまり魅力もない病院の放射線技師であった佐伯の弟が、ある日美しい看護婦一二三と結婚したかと思うと、業務中に何者かに殺害された。犯人は見つからない。結果として、一二三は高額の保険を受け取ることになった。犯行時間、一二三には病院長と往診に出かけていたという完璧なアリバイがあった。しかし佐伯は一二三が犯行に絡んでいると信じていた。彼はまた以前一二三が資産家の孤独な老人と結婚し、やはり何者かに殺害された資産家の多額の遺産を手にしていたという事実も話すのであった。
土曜日、一二三の娘、田中江真はいつものように、こどものころから世話になっている向井さんの部屋に泊まりに行く。看護師をしている母が、江間がまだ幼いころ、保育園の終わった江間を預かってくれるアルバイトを新聞で募集を出して応募してきたのが向井さんだという。それからの長い関係であった。向井さんは年齢不詳の、化粧気がまったくない、度の強い眼鏡をかけた贅肉が全身を覆い丸い体つきをした女性で、スリムで若々しい江間の母と大違いであった。しかし江間は向井さんの柔らかい印象に親しみを覚えるのだった。ネットオークションでアクセサリーを売り、ほそぼそとした生活をしている向井さんには何でも話せる江間であった。ハーフゆえの白い肌を学校で「色素欠損人間」と呼ばれいじめられた日、母と出た結婚式の披露宴で母を追いかけてきた男の話などを向井さんに話す江間であった。
物語は一二三の正体を探ろうとする宗一の行動、そして一二三の最初の夫イアンの、そしてそれはまたその娘、江真の隠された秘密が語られる。果たして一二三の正体は、そして明かされる謎とは?


これもまた最近続いている古臭いミステリーのひとつ。最後に明らかにされる謎の種明かしはそういうオチだったのかと唸らされる部分がないわけではない。しかしよくよく考えるとやはり都合のいい「ミステリーの物語」に過ぎない。母親の抱く、愛する子どものための深い愛情を描いているという部分は買いたいが、それが最後に明かされる謎、あるいは事件の動機としてはいかがかなものなのだろうか。確実に実効性があるとは思えないことに望みをかけるという部分に読者が共感できるかどうかの違いによって作品の印象は大きく変わるだろう。もしかしたら、母親という立場の読者が読まれたらもっと切々と胸に訴えるものがあるのかもしれない。愛するこどものためにほんの一縷の望みでもあれば、すがりつきたい母親の気持ち。ぼくには頭で理解できて(わかって)も、共感を呼ぶほどの心に訴えるものはなかった。
ある女性読書ブロガーの方が、本書をして男女の感覚の違いについて触れていた。具体的に指し示されていたわけでないのだが、それはもしかしたら、ぼくが本書に感じた、ささいな違和感のような描写に関わる部分なのかもしれない。主人公である宗一がまるっきり魅力的に見えないのだ。13年前の激しい恋愛を経たはずの彼なのに、読者として魅力を感じるところがなかった。基礎研究者は医者に対しひねた態度をとる、を地でいく行動をとってみる。肉体的に激しいセックスを好む。幼い子どもを預ければ、あたかも子ども邪魔に扱うように見える。本人は違うつもりなのかもしれないが、深層にある思いが表層に現れているのではないだろうかと思うのはもちろん穿ちすぎなのだろう。しかし一読者として主人公のその信頼を置くことができない様子が、作品全体にどこかしら不安な空気を漂わせるように感じられてならない。
物語の最後は、本当にこれでよいのだろか。一見、解決したかのように見えるが、それは殺人事件のみを犯人の死によって解決しただけで、犯人がそこに至った理由となる部分についてはなんの解決もされていない。その部分を解決、あるいは解決の糸目もつけないうちに犯人が死んでいくことに意味があったのだろうか。
最後のシーンは、思春期の娘、江真が新しい出会いをする場面となっており、一見希望を見出すような終わり方にしている。しかし誤魔化されてはいけない。この作品では根幹となる問題に対し、なんらの解決も果たしていないのだ。


残念なことに、やはり今回も「古くさいミステリー」に高い評価をつけることはできなかった。


蛇足:表紙の写真、こどもの足の裏の模様に意味があるのかと思ったら、作品には関係なかった。がっかり。