ぼくが愛したゴウスト

ぼくが愛したゴウスト

ぼくが愛したゴウスト

「ぼくが愛したゴウスト」打海文三(2005)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、SF、認識論(?)、パラレルワールド

切なく、哀しく、苦しく、ほろ苦い・・そんな小説。僕は決して好きでない、この閉塞感。しかし、評価せずにはいられない。

どちらかといえば、おとなしく、ひっこみじあんの11歳のぼく、田之上翔太は小学5年の夏、たった一人でコンサートへ出かけた。その帰り道、中野駅での人身事故がきっかけとなり、ぼくの住む世界と寸分変わらないもうひとつの別の世界へ飛び込んだ。いつもと変わらない世界なのに、どこか違う。卵の腐ったような硫黄臭、人々のぎこちない表情、そして、この世界では人間にはしっぽが生えている。もう一人、ぼくと同じようにこちらに世界へ飛び込んだ人がいた。山門ケン、通称山ケン、売れない若手の俳優。同じ中野駅の事件で、ぼくにやさしくしてくれた人。山ケンによれば、こちらの世界の人は感情がなく、役者のように、こういう場面ではこうしなければいけないという演技をしているという。ぼくたちのように、しっぽもなく、感情を持つ、別の世界から来た人間は、国家にとってとても危険なのだ。ぼくらは、警察、自衛隊に追われ、最後に、自衛隊に捕まり、隔離された生活を送る。ぼくらはもとの世界へ帰れるのか・・?

この作品は、正確な意味で論理的ではない、しかし、作者の抑えた筆致によりとても論理的に書かれているように見える。まさしく、リアリティー(本当らしさ)のあふれる作品。パラレル・ワールドにおける家族とは、こんなに哀しいモノなのか。胸をぎゅっと捕まれるような哀しさを覚えた。息子とまった同じように見える子どもが、実は別の世界から来た、息子そっくりの別人。自分の本当の息子は、いまごろどうしているのか。主人公であるぼくの気持ちもさることながら、自らの身体を痛め子を産んだ母親のそうした気持ちに切なさを感じ得ない。
この世界から、ぼくはどうやってもとの世界へ帰れるのか?明確な光を見いだせない状態が続き、読者としても閉塞感が続く。
そして、ぼくが愛したゴウストとは・・。
まさか、ここで認識論(?)、我思う故に我あり・・、に繋がるとは思わなかった。でも、本当に、そうか、そうなのか?

以下ネタバレ(?)








[ネタバレ含む]
もし、この作品の主人公のいうこと、考えることが、真実ならば、彼は小学5年生ではありえない。僕を拾ってくれて、一緒に住む元自衛官の一枝あぐりとの行為で、自分を確かめる彼が小学5年生であるはずがない。しかし、そんなことはどうでもよい。とてもよくできた作品だ。
主人公の家族、山ケンの恋人ユキ、阿部という研究者、豊田という自衛官、とても魅力ある登場人物。感情がなくてもみなやさしい。それが故に切ない作品。

やっぱり・・久々のヒット、だ。