神無き月十番目の夜

神無き月十番目の夜

神無き月十番目の夜

「神無き月十番目の夜」飯嶋和一☆☆☆☆☆(1997)
※[913]、国内、小説、中世、時代小説、江戸時代、ミステリー

とにかくオススメ!!
飯島和一の本は、一筋縄ではいかない。ぎっしりとつまった、活字。感情を抑えた筆致。正直、読みにくい。読みにくいとはいうのは、さらっと簡単に読めるの逆の意味で、しっかり読まないといけないという意味。昨今の流行りのライト・ノベルの対極にある重厚な小説。衝撃的である。そしてとにかくオススメ。

常陸の山里、小生瀬の地へ派遣された大藤嘉衛門は、悪い夢を見ているようだった。強烈な血の臭い、人影の無い宿場、そして村人たちの聖域とされた場所から見つかる大量虐殺の跡。いったい、この村に何が起こったのか。
関ケ原の戦いの記憶も新しい江戸時代初期、慶長七年十月、山里の鄙びた村に起きた事件とは?
物語は十数年前に遡る、本書で主人公となる石橋藤九郎の初陣。月居騎馬衆の一人として、須賀川の二階堂氏と伊達政宗との戦に参加した藤九郎は輝かしい戦績を残すものも、戦(いくさ)の虚しさを知る。
時は流れ、慶長七年の五月。家康による平定から二年、月居城主である大膳亮忠時は、領主である佐竹義宣の出羽秋田移封に付き従うことを決めた。すべての騎馬衆を連れて行くことはかなわず、これからはそれぞれに新たな領主につくも、百姓になるも各々の判断に任せる。藤九郎は、小生瀬の百姓として生きることを決める。騎馬衆の地では、戦がない間は、来る戦時に向け備えをすることを名目とし、通常の農民より軽い年貢と、自治を与えられていた。
同じ年の七月、家康の全国支配の確立のために行われてきた、年貢のための検地が小生瀬の地にも入ることに。よりによって、お盆の真っ最中。正確な検地という目的のために、青々とした田は、検地役人に踏みにじられ、滅茶苦茶にされる。若衆たちが楽しみにしていた、年に一度おおっぴらに男女が出会える村祭も自粛となった。厳しい検地と、年貢の割り当てに村人たちの不満は高まる。
生きぬくことが肝要である、村の頭として藤九郎は、幕府からの申し出を受け入れていく。しかし、唯一、村の聖域にして神が降りるという御田のみは、隠し、守り抜く決心をする。自らの命をかけ村人の命を守る、藤九郎の覚悟とうらはらに物語は進んでいく。
主要な登場人物たちは、すべて真摯に生き抜く。それぞれに自分たちの本分を守りとおす。それぞれの立場の違いが、後に惨劇を、そして悲劇を生み出す。それらは、すべてほんの小さな自分本意な行動がきっかけとなって・・。

幕府の立場より、すべてを平等に検地を行うもの。一切の不正は許さない。
村の聖域と村人の生命は、守る。
自分たちの生活は自分たちで守る。
そこには、善と悪の対立構図という単純な図式はない。まさに立場の違い。飯嶋和一の感情を抑えた筆が、それがまさしく立場の違いのみで起こった悲劇であることを浮き彫りにし、読むものにやるせなさを覚えさせる。

すべての悲劇のきっかけとなった、一人の若者の言動は確かに浅はかであった。しかし、浅はかでしかない。些事、すべては些事がきっかけ。
生き生きとした登場人物たちの描写の積み重ねが、本作品の悲劇を鮮やかにする。

幾ら筆を重ねても、幾ら言葉を重ねても、この作品の魅力を伝えきれない。とにかく読め、読め、読めである。
すべての本読み人にオススメする。

泣き言:あぁぁ。想いは逸り、まとまらない。