1985年の奇跡

1985年の奇跡

1985年の奇跡

「1985年の奇跡」五十嵐貴久(2003)☆☆★★★
※[913]、国内、現代、小説、青春、野球

五十嵐貴久ということで読んだ。正直、これは、ちょっといただけなかった。
最近、ステレオタイプでも良いのではないかという感想を幾つかの作品に対し書いてきた。しかし、訂正する。ステレオタイプであっても、そこに「何か」なければダメだ。本作品は、悪い意味でステレオタイプ。もちろん、ツボにはまった人には受ける要素もあるのだが、一般的、普遍的な小説という意味では及第点ではない。読む本がなければ、暇つぶしに読んでもいいかな、程度。
厳しい評価としたのは、五十嵐貴久に期待しているが故。ネットストーカーを題材にした「リカ」でデビューした五十嵐貴久。正直「リカ」は好みに合わなかった。これは主観。ホラーって、苦手。基本的に、悪意ある人が主人公だから。閑話休題。その後、ネゴシエーターを題材にした「交渉人」で、ちょっと気になり、江戸時代を舞台にした冒険小説「安政五年の大脱走」で、好きな作家の一人に仲間入りした。ホラー、ミステリー、冒険小説、青春小説と芸の巾を見せるのはいいが、この作品は、ちょっとひどい。
五十嵐貴久を読むなら「安政五年の大脱走」「交渉人」あたりか。(「TVJ」も、もう少し。FAKE」は、未読、予約中)

作品の設定は、丁度ぼくの青春時代と重なる。ぼくらの高校時代「夕焼けにゃんにゃん」が始まったはず。はずというのは、ぼくがその番組に興味を持っていなかったから。勿論、ヒット曲のメロディと題名くらいは覚えているが。前半、「夕焼けにゃんにゃん」が延々と述べられる。狙いは、この時代の若者の風俗と生活を描写するつもり。おにゃん子にハマった人はうけるのか?しかし、そうでないぼくのような人間はどうしたらいいのか?って、もしかして少数派か?

新興都立高校の野球部が舞台。創部以来8年間で一勝もしたことがない。校長の打ち出した学校の方針が進学校のため、成績不振者は弾圧され、運動部も肩身が狭い。そんな中、主人公たちはテキトーに部活を過ごす。そこに、野球の名門校から転入生沢渡がやってくる。故障のせいで、名門校にいづらくなったという。
野球部は、沢渡の力を借りて、いや沢渡の力のみで都大会の準決勝まで勝ち進んだ。しかし、そこに思わぬ伏兵。敵の心無い野次に沢渡は倒れた。実は沢渡は同性愛者で、それが故に名門校にいられなくなったのだ。2005年の今でこそとりあえずは認められるようになった同性愛である。確かに20年前、それも高校生では、まだまだ忌むべき存在だった。沢渡は自ら退部して責任をとる。
さて物語の本当の始まりはここから。駄目チームの駄目メンバーが、沢渡の仇を討つべく、練習を重ねて、沢渡の力なしで、危うげに試合を勝ち進む。そして、沢渡に対し心無い野次を送ったチームと戦うときが来た。沢渡は戻ってきた。そして・・。

最後まで憎まれ役の校長。ことなかれだが、どちらかというと生徒の側に立ってくれる顧問の先生。憧れのマドンナ。まさしくひと昔もふた昔も前の青春ドラマ。しかし、それだけ。野球好きの人もあきれてしまうお手軽、お気軽の物語。

久々に☆2つ。どうして、こんなにつまらないのだ。文章も、なんだか下手だぞ。エピローグもまさしく蛇足。不要。
五十嵐貴久未読の人は、絶対読んではいけない一冊。