バッテリー6

バッテリー〈6〉(教育画劇の創作文学)

バッテリー〈6〉(教育画劇の創作文学)

「バッテリー6」あさのあつこ(2005)☆☆☆☆☆
※[913]、国内、現代、児童文学、小説、野球、青春

最後のページ、最後の一行を読んだとき、背筋がぞくぞくっとした。あ、そういうことホントにあるんだ。賛否両論あるようだが、ぼくにとって最高のオススメ作品!よかった。うまく言葉で表せないくらい。

300ページほどある作品だが、野球の試合は最後の50ページ。しかも、その50ページはゲーム進行ではない、登場人物たちの心の動き。
野球小説なのか?いや、立派な野球小説。しかし、それ以上の青春小説。
5を評したときに触れたが、6の表紙はそれまでのモノクロのイラストのから、一転、なんと青空。早春の蒼。そこに込められた思い。

主人公の巧にとって、一番大事なのは、ただ白い球をミットに向かって投げること。一貫して変わらない巧の思い。作者はその一点を書き続けた。ともすれば、チームワークや協調、仲間というキーワードがよしとされる、野球を舞台にした物語で、巧は最後まで孤高であった。最後までただ投げることにのみに、こだわった。もし、自分の近くにいたらやりにくい相手だと思う。しかし、不器用に、ぶつかりながらも、どこまでも自分を通していく巧の姿は羨ましくあり、また憧れる。まさしく、傍若無人。真似、できない。

何も言えない。とにかく読んで欲しい。そして感じて欲しい、この若者たちの想いを。巧だけでない、新田のキャプテン海音寺、キャッチャーの豪、横手の瑞垣、そして門脇それぞれの野球というものへの想いを。野球を特別に好きでもない僕でも、心が震えた。それとも、それは逆に、特に興味ないからなのか?

巧の弟、青波がここにきて描き切れていないとか、主人公より脇役のはずの瑞垣の物語では、という作品の完成度としての欠点は否定しない。しかし、この作品は完成度を求める作品ではない。巧の孤高と、それをとりまく登場人物たちの想いの物語。少なくともぼくにはそれが伝わった。

読んで欲しい、そして、感想を率直に教えて欲しい。たとえ、ぼくと違って芳しくないという評価でも。久しぶりに、そんな思いをもった作品。

蛇足:先日評した、「1985年の奇跡」五十嵐貴久の評価が厳しくなったのは、もしかしたらこの作品が近くにあったせいかもしれない。その意味では、ちょっと可哀想だったかな