五分後の世界

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界村上龍(1994)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、パラレルワールド、シミュレーション、if

「半島を出よ」を貸してくれた友人が、これも同じ系譜だからと貸してくれた「五分後の世界」「ヒュウガウィルス-五分後の世界II-」の二冊。いわゆるシミュレーションとかif物。なるほど、同じように丁寧に取材をきちんとした上で創られた世界。 まずは「五分後の世界」。

現代の日本でアダルトビデオの製作をしていた小田桐は、ふと気がつくと行軍の一人として歩いていた。兵士に監視され、やっとたどりついた先で、身分を証明することができない小田切。そこは、小田切が生活していた世界と五分だけ違うもうひとつの日本であった。
この世界では、日本は第二次大戦で本土決戦を選択し敗戦した国であった。本土に原子爆弾を落とされ大日本帝国が消滅した後、地下に潜った日本軍は、しかし、生き延び、闘い続けてきた。アンダーグラウンドと呼ばれる地下トンネル世界を築き上げて、未だ日本という国の意義とプライドをかけ、闘い続けているのであった。
ストイックに、プロフェッショナルに動くアンダーグラウンドの兵士たち。そこには現代の日本にはない確固たる意志を秘めた顔がある。もとの世界に帰るために彼らとともに行動する小田桐。そして・・・。

ネットでの書評を見る限りにおいては、とても評価の高い作品。でも、ぼくはダメだ。ぼくの好きな「物語」ではない。なるほど、いまの、現代の日本はゆるみっぱなしの世界なのかもしれない。そこに敢て警鐘を鳴らそうとする作家の姿、意向は理解できる。残酷なまでに徹底的に描写する戦闘における殺戮の光景。現実の人間は、やわらかく、簡単にねじれ、ちぎれ死んでしまうものなのかもしれない。戦場にいれば、死んだ人の千切れた皮膚が飛んできて、頬にへばりつくこともあるかもしれない。敢て描写する作家の意向は理解できても、気持ちのいい物ではない。いや「物語」に厚みを生かすための必要な描写であれば、まだ許せる。しかし、これは「物語」なのだろうか?

小田桐という主人公の視点を通して描かれる世界。しかし、この小田桐とはいったい何者なのだ?現代世界の一般人とは思えない。ゆるみっぱなしの現代の日本で生活していたにもかかわらず、このアンダーグラウンドの兵士の資質をもった人間。それが故に彼はこの作品で生き残り、それが故にぼくは感情移入や、共感できない。

シミュレーションとしての完成度は非常に高い。それは、徹底した取材に裏打ちされたものであろう。作家の書きたいことも、姿勢も理解できる。しかし、共感できない。これは「物語」ではない。故にぼくの個人的評価(主観)は高くできない。

こんな世界はイヤだ。