リトル・バイ・リトル

リトル・バイ・リトル

リトル・バイ・リトル

「リトル・バイ・リトル」島本理生(2003)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、文学、文芸、生活

悔しいことにやられた。女流作家は苦手だと「袋小路の男」で書いたとおりの、まさしく女流作家の作品。徹底的に私という視点で描かれている。しかし、ひきずりこまれた。ぐんぐん物語にひきずりこまれた。何があるわけでない、淡々とした主人公の生活に。150ページ弱、読書時間一時間弱。文学作品は、そうしたあっと云う間に読めてしまう物理的な薄さを勿体無く思うところもあり、最近あまり読んでなかった。しかし本作を読んで、現代文学もたまには悪くないなと思った。でも、これ文学?文芸?

女流作家は苦手なので、当初食指が動かなかったが、「ナラタージュ」が、あまりにネットで評判なので、とりあえず図書館に予約した。予約人数60数人。読めるのはいつになることやら。書架に同じ作家の作品が並んでいたので手に取った、それが本作。第128回芥川賞の候補作だったそう。発表当時作家は都立高校生徒。1983年生まれ。経歴を見ると群像新人賞を受賞しており、またコンスタントに作品も発表している模様。全然知らなかった。なんせ、芥川賞直木賞もぼくには、あまり関係ないから。でも、巷ではやはり権威なんだろうな。

主人公、橘ふみは高校を卒業したばかり。母子家庭で離婚暦2回の母と、父親の違う小学2年の妹ユウちゃんの三人で暮らしている。二番目の父と母の離婚は、ふみの高校卒業目前であった。そのため資金難からふみの大学受験は一年遅れを余儀なくされた。そんなある日、母が勤める整体医院の院長が失踪、母は職を失った。このままでは生活できない。あわててアルバイトを探すふみと、新たな就職先を探す母。ティッシュ配りのバイトを得たふみ、新たな就職先を見つける母。そんなある日、寝違えたのか笑い顔もひきつるほどの首の痛みに、ふみは母の勤める治療院へ足を運ぶ。そこで、以前、母がふみ好みだと話していたキックボクサー周と出会う。ふみの生活を、彼女の視点から淡々と描く。

マジメというわけでもないのだろうが、昨今の若者のようにいたずらに性に走るワケではない。ともすれば、簡単に身体を重ねる若者文化を当たり前とするなら、稀有な作品。でも、実際はこんな若者だって少ないわけではないと思う。
尤もこの作品の主人公も、その先にあるものを意識した上で、恋愛感情を持っていると言い切れない相手とホテルで泊まる。結局は何事もなく、ただ寝過ごして終わってしまうのだが、。しかし、主人公はつきあっている相手が好きで好きでたまらないからホテルへ行くワケでもない。いや、もしかしたら、頑なな性格なため、相手に対する想いを表わしきれない主人公、そういう表現をすることに気恥ずかしさを覚える作家なのかもしれない。
としても、実はホテルへ行くことに対する葛藤が描かれているということもないのだけど・・。
この作家の場合、ただ快楽のために身体を重ねる描写はないかもしれないが、ぬくもりを交わすために淡々と身体を重ねるとういことはあるかもしれない。それでも、好感を持って読むことができる気がする。ぼくはこの作家に、節度というもの感じる。
物語はよくも悪くも淡々と進む。ふみの本当の父とのエピソード、趣味で習い始めた習字の先生、柳先生とその妻のエピソード。そしてその婦人の突然の死。妹のかわいがっていたモルモットも死を迎える。大げさに感情を描くことができる年代であるにも関わらず、淡々と清清しく作家の筆は進んでいく。そして魅力的な登場人物たち。ふみの彼である周の朴訥としたしゃべり方、マジメな考え方。二人をあたたかく見守る周の姉。夫のお気に入りのボールペンを探して、お店を三軒もはしごする柳夫人。
そうした登場人物と比較し、実は主人公の姿が脳裏に思い浮かばない。身長、体型、容姿などの記述が一切省かれている。作家の目論見。

島本理生を今後も読んでいきたいかと問われれば、おそらくイエスであり、ノー。苦手な女流作家、しかし、とても好感を覚える。とりあえず、数作品は読んでみようと思っている。