ポーの話

ポーの話

ポーの話

「ポーの話」いしいしんじ(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、物語、おはなし、うなぎ女

ポーという名の不思議な生き物の男の子の話。500年ぶりの大雨、氾濫のあと、愛し育ててくれたうなぎ女たちの下を離れ、生まれ育った川を下り、様々な人と出会い、ともに旅を続けていく話。

最近、ネットの本読み人の間で話題、そして妙に評価の高い作家の最新作。なんというか、不思議な作品。うなぎ女という川辺に住み、うなぎを捕まえ生活する、人間でもうなぎでもない生き物たちの子として育つポー。ポーは、うなぎ女ではない。しかし人間でもない。作家の創った不思議な人型の生き物。

正直言えば、ぼくにはわからない作品。ぼくはといえば、世に名作と名高い「星の王子様」もわからないし、宮沢賢治もわからない。それらがわかる人には、この作品もわかるのか。
物語の形式は、トールキンの「ホビットの冒険」と同じ、「行きて帰りし物語」。主人公が旅に出て、旅という通常の世界と違う世界を通じ成長し、そしてまたもとの世界へ帰ってくる。そうした物語のひとつ形式に沿ったこと、そして丹念に丁寧に書かれ、また主人公同様に充分妙で、奇妙な魅力にあふれる登場人物たちのおかげで、安心し、かつおもしろく読めた。
しかし、残念ながら、作家が伝えたいこと、物語が伝えたいことがぼくには伝わらない。寓意を秘めた寓話なのか、はたまたただの物語なのか?
ポー、そしてうなぎ女の棲む川は、決して澄んだキレイな川でない。泥だけでなく生活排水をもして汚れた川。うなぎは人間の死体を食べ、人間を食べれたうなぎは脂くさくてとても食べられない。川が舞台であるが、それはありのままの川。決してありがちな川の再生の物語というわけでもない。
そこにあることを、そのまま書いた作者のイマジネーション。善でもなく悪でもなく、たた淡々と描いていく。少しだけ宮沢賢治に似ているかなと思わせる描写もあったが、宮沢賢治の作品に感じる、作家の願いや祈りといったものを感じるほどのことでもない。

よくよく考えればちょっと不気味な水棲生物。水棲生物の肌や、水辺のぬるぬるとした触感って、きっと生理的な嫌悪感を呼び起こすはず。それを、そうでないものとして描いた作品。そこに作家は、どんな意図を含ませたのか?

メリーゴーランドという男、その妹のひまし油、ポーと旅する天気売り、旅の途中で出会う猟師の老人とその孫、埋め屋、鳩を飼い訓練するその妻、海の街の人々、魅力的な登場人物と、不思議な出会いの物語。静かな余韻。そういったものを心にしみこませて楽しめばいいのか。

正直、ぼくにはわからない。降参。ふにおちないというべきか。故に評価不能。ちょっと、悔しいけど、背伸びはしない。

http://kanata-kanata.at.webry.info/200512/article_28.html