そこへ届くのは僕たちの声

そこへ届くのは僕たちの声

そこへ届くのは僕たちの声

「そこへ届くのは僕たちの声」小路幸也(2004)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、SF、遠話、特殊能力、少年少女

不覚にも、電車の中で涙をこぼしてしまった。四十男が、電車で読書しながらハンカチで目を押さえる・・かっこ悪い。
無償の正義。浪花節でも安っぽいヒロイズムでもなく、あたかもそれは使命のように淡々と行われる。悲壮感がまったくないわけでない。しかし彼らは、自分たちがしなければならないこと受け止める。それができるのは自分たちだけだから、だからするんだ。無心に読め!そしてこの無垢なる魂の、無償の正義に涙しろ!それだけでいい。

以下、若干ネタバレ含む。未読者は注意されたし。

定年退職間際の刑事の捜査中にたどりついた情報。植物人間を回復させたり、植物人間から情報を得ることのできる人物「ハヤブサ」。
ある新聞記者が気づいた、全国各地で起こっている、こどもがまるまる一日失踪する、同じパターンの誘拐騒ぎ。そこでたどりつくキーワード「ハヤブサ」。
ハヤブサ」とは何か?一方、物語は「遠話」という特殊能力をキーにした子どもたちの姿を描く。そして、事件は起き・・。

他の本読み人も指摘するように、この作品を「作品」として客観的に評価するならば、欠点の多い作品。
物語の核となる設定は、決して悪くない。まず、それをまず活かし切れていない。ある特定の子どもの、それも主に子ども時代にのみ発現する「遠話」という特殊能力。それは、実は時代を超え、「在る能力」。こどもの頃その能力を持った大人も存在する。ちょっと魅力的な設定。しかし、これを無理に理屈づけ、理論づけする。うまい説明でもないし、もともと説明は不要だったのではないか。
ほかにも、植物人間も登場するが、実は伏線もどき?あまり関係なく終わる。ここで植物人間である、主人公の一人である少女の父親を目覚めさせてほしかった。子どもたちが最後にたち向かう大きな事件も唐突。また、その事件で現場を非常封鎖するのだが、あっけなく子どもたちは通過できてしまう。なら、封鎖する必要もないのでは。重要なキーワード「ハヤブサ」というネーミングにもう少し、意味づけできなかったのか。語り手があまりにめまぐるしく変わりすぎる。とにかく、欠点を洗い出せばキリがない。目も当てられない。
でも、泣いた。不覚にも泣いてしまった。欠点だらけの小説なのに・・。困るよね、こういう小説。理屈を越えた何かって、論理的に評することを許さない。
気持ちが震えたってこと、それだけで甘めに☆四つ。

小路幸也は去年くらいから気になりだした作家。勢いのある作家というのはこうしたものなのか?語りたい、訴えたいものに勢いがあれば、作品の構成をも含め、表現が方法が稚拙だとしても、それを上まわる力。よく言えば荒削りなの。決して、このままでいいとは言わない。しかし、このどこかキラリと光り、読者の心を掴んで話さない何かを失うことなく、成長して欲しい。

各本読み人が語るように、読み終えて、もう一度プロローグを読み返す。そして、胸にじいんと沁みこむ。
しかたないなぁ・・

蛇足:この作品を読んでいる最中、梶尾真治の「OKAGE」と「黄昏がえり」の二作品に匂いを思い返した。もはや、記憶も定かでないふたつの作品なのだが・・・。