せちやん−星を聞く人−

せちやん―星を聴く人

せちやん―星を聴く人

「せちやん−星を聞く人−」川端裕人(2003)☆☆☆☆★
※[913]、国内、小説、現代、科学、NASASETI計画、宇宙、青春、少年、星々

先日読んだ「デセプション・ポイント」(ダン・ブラウン)が、NASAを舞台にしながら、結局はホワイトハウスの政治抗争というあまりの大人の小説で、期待ハズレだった。
口直しに本書を再読。宇宙空間に思いを馳せる「男の子の物語」。川端裕人という作家、「男の子の物語」がとてもうまい。いま、イチオシの作家かもしれない。
とはいえ、今回の作品は「川の名前」「夏のロケット」「竜とわれらの時代」と違い、爽快感やカタルシスは得られない。それでも、ぼくにとってオススメの一冊。

衛星放送の始まる20年も昔。ぼくとクボキとやっちゃんの3人は、学校にも家にも居場所がなく、三人でつるんでは学校帰りに雑木林で無為に時間を過ごしていた。そんな中学1年の10月、雑木林の一画で、ぼくたちはパラボラアンテナが備え付けられた、一軒の家を発見した。「摂知庵」の住人、ぼくらがせちあんと呼ぶ男との出会いだった。せちやんは風采の上がらない中年男。しかし天文学、文学、音楽に造詣が深く、ぼくたちはせちやんの影響でそれぞれ、星に、音楽に、文学に自分たちの心の赴く先にその興味を延ばし、深くのめり込んでいた。そんなぼくの興味は、せちあんが今最も興味を抱く星の世界。せちやんとともに宇宙の知的生命体から送られてくる電波を受け取るということに夢中になっていた・・。
高校になって、それぞれが独自の生活を持ち始めたこともあり、いつしか、ぼくらはせちやんの家を訪れなくなった。そして、ぼくは大学に入学、恋をし、別離を経験する。就職をし、バブルの波にのり、巨額の富を得た。バブルのバカ騒ぎを経験しつつ、いつも心のどこかにせちやんが居た。バブル崩壊にともない、あらかたの例に漏れず、ぼくも一文無しになった。せちやんの遺志によりぼくは第二のせちやんとして、星の声を待つ人になった。そして、ぼくは知るのだった、宇宙の中の人の孤独を・・。

読んだあと、孤独というか寂寥感がしみじみと心に沁みわたる。孤独と寂しさを秘めて人は生きていくのだなと。

SETIというのは「地球外知的生命探索」の略であり、絵空事の宇宙人でなく、科学的なアプローチで地球外知的生命を探索するプロジェクトだそう。
ぼくも、科学的なことは詳しく知らないのだが、せちやんの「せち」にはそのことが象徴されている。大坂の片田舎の街で、自作のパラボラ・アンテナで星に思いを馳せるせちやん。まだ幼かった中学生のぼくには、ヒーローであったせちやんが、ある日、ちっぽけな1人に人間でしかない気づくことの哀しさ。自身も成功と失敗を経験し、はじめて、せちやんとさきに大人になっていた友人ふたりの孤独に気づく。たったひとりの人間のちっぽけさを理解したとき、主人公ははじめて大人になれたのかもしれない・・。

再読して思ったのは、もしかしたら万人には薦められない一冊かもしれないということ。
それでも、この清々しいまでの寂寥感、孤独感は、誰かに知って欲しい、そして共感して欲しい。そう思うのである。
☆は5つはちょっと苦しい、4つでは不足かな?