いつかパラソルの下で

いつかパラソルの下で

いつかパラソルの下で

「いつかパラソルの下で」森絵都(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、三人兄妹、自分探し、モラトリアム

今年(2005年)の4月に発刊、4ケ月後の8月に読んだというのにネットを覗く限り、賛否両論あれど、もはや語りつくされているという感がする本書。つくづく森絵都という作家に対する本読み人の期待のほどが知れる。と、同時に語りつくされた感があるというのが、本書の限界か。

物語自体に対する論評は、それぞれの本読み人の感性の問題もあり、それはそれで賛否両論あるべきだろうが、この作品の賛否両論の最も大きなポイントは、亡くなったばかりの厳格な父親の「不倫」という事件の発覚と、森絵都に誰も期待も、想像もしてない大胆な性描写。森絵都の転換期と見るべきなのだろうか。
少なくとも、従来の作品のように、例えるなら中学生に薦めることのできる作品とは言えない。
作家は必ずしも読者におもねる必要はない。読者の期待に応える義務もない。作家は、自分の書きたい作品を書くべきである。しかし、作家が自由にふるまうとき、そこに読者がついてきてくれるかどうかは別の問題。

厳格な父が交通事故で死んで三週間ほどたって、母のもとへ父の元部下という女性が現れた。主人公柏原野々は母と一緒にその女性から話を聞いた。部長が死んだのは自分のせいです。部下である自分に言い寄ったのに、それを断ったことを部長は悩まれていたのではないか。その女性は語る。女性が去ったあと一笑にふす母娘。その夜、母は、父の蔵書の裏から使いかけの避妊具の箱を見つけたと連絡してきた。
その夜をきっかけに母は生きる張りを失ったかのように無気力になってしまった。
異常なまでに潔癖で厳格な父親に育てられた柏原兄妹は、潔癖で厳格な父に反発し、20歳で家を出てふらふらと生活する兄と、兄同様に20歳で家を出てふらふらとしている主人公、野々、二人に反するかのように父の言うことを聞き育ち、今も家で母と暮らす一番下の妹、花の三人兄妹。三人で父の一周忌の打ち合わせをするうちに、父の暗い血について、謎とされていた父の出生の地について調べるため、三人で佐渡が島へ向かうことに・・。

厳格、潔癖というより、偏執狂的な父親の子どもの育て方。それに反発した兄姉。末っ子はそんな兄姉の姿を見、反面教師のようにうまく育つ。とてもありがちな兄妹像。旅を通し、強大だった父親の姿が、等身大の一人の人間になったとき、兄妹たちは父親の影を乗り越え、成長していく。ところどころユーモアを交えた描写が、笑いを誘いながら物語を進める。

千人切りのヤスの伝説、その伝説に怯える父の姿このあたりはまだオブラートに包まれた表現でいいのだが、絶倫とか、ジェルとか、直接的な描写は本当にこの作品に必要だったのだろうか。そうした事実、そうした悩みを抱えた女性がいることは確かに現実。敢て、現実にたち向かい成長する姿を描いたと言えなくもないのだが、この作品、本当にたち向かって成長したとまで言えるのだろうか?最後の家族団らんは、なし崩し的な印象もある。ふらふらしていた生活から、しっかりした生活を目指すことを成長というようなパターンをこの作家が踏むことがちょっと信じられない。ええっ!である。

決してつまらない物語ではない。ユーモアもあるし、主人公の心の微妙な動きも共感できる。各エピソードも現実にありそうで、荒唐無稽でもない。しかし、それだけ。
いや、市井の人々の生活を描いただけの作品というなら確かにそうなのだけれど・・。

蛇足:佐渡に住む、三兄妹の従姉妹、愛が突然叫ぶ「相川に来たなら、明日は、イカイカ祭りに決まってるじゃない」が、突飛で唐突だけど、すごくいい。突然現れた親戚たちに自分の大事な行事を奪われたらたまらないという、思春期の少女の思い。いいよね、こういうの。愛の物語こそ、森絵都の作品って気がする。
ちなみにイカイカ祭りって、本当にあるんだね。行って、旨いイカ喰いてぇ!