夏の魔法

夏の魔法

夏の魔法

「夏の魔法」本岡類(2005)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、酪農、ひきこもり、モラトリアム

「信ずる信じないは自由だけどよ、牧場には不思議な力がある。たいがいの若い者は大きく変わるね。牛飼っている牧場には、ほんと不思議な力、魔法みたいなもんがあるんだよ」
作品の中で、主人公と親しくする経営酪農家の語る一言。この酪農家は、自分の牧場で多くの研修生を預かり、その中には酪農とは無縁の若者も多い・・。

離婚して15年。4歳のときから一度も会ったことのなかった、ひきこもりとなった19歳の息子、悠平が高峰のもとにやってきた。主人公高峰は進行性の癌の発病を期に会社を辞め、那須の山で自然の状態で牛を育てる山地酪農を、手探りで営みはじめたところだった。ある日、別れた父親が那須の地で酪農を行っているという話を聞き、ひきこもりであった悠平が興味を示したという。携帯ゲーム機は持っているが、若者なら誰でも持っている他人とコミュニケーションツール、携帯電話さえ持たない悠平。そんな息子悠平と主人公高峰が、ぎこちない親子関係の中、牧場という場で過ごす一年を描く。
酪農という場における生活と生命(いのち)、違和感や反発を覚えながら少しづつ近づき、成長していく親子。そんな中、高峰の牧場でBSEの可能性があるという検査結果がもたらされた・・。

一年間の牧場生活を通し、成長する悠平の姿。そして悠平というストレンジャー(異人)の訪れによって、成長する主人公、冒頭の言葉を語る経営酪農家の社長。人と人の触れ合い、人と牛という生命(いのち)の触れ合い、ふたつの触れ合いを通し成長していき、あるいは、変わっていく人々。とても気持ちよい好感の持てる作品。

「悠平くんだけじゃねえさ。うちに来る研修生見てると、俺らの頃より三つは幼い。三は引いて考えたほうがいい」
「悠平、二年ばかり引き籠ってたから、それを計算にいれると、五歳引いて考えるのが妥当なところか。十九マナイス五で、十四歳。おい中学生か」

図体ばかりでかくて、中身が伴わないいまどきの若者を的確に表現した言葉。確かにこの言葉のとおりなのかもしれない。
そうした若者のひとつの姿として、悠平という少年が牧場、あるいは牛という生命(いのち)と正面から向き合い、青年へ成長していう姿を描く。自らの選択で、高峰のもとを去り、旅立つ悠平。成長譚って、やっぱり好きだ。
この作品の出色の出来は、悠平という青年が旅立ったあと、高峰が、経営酪農家の森が、悠平との一年を通し、自分たちも変わっていた、成長していたとそれぞれ気づく点である。

欠点というか、あともう少しと思うのは、酪農の苦しみ、厳しさをもう少し描写してほしかったという点。淡々と書かれているため、ついつい気づかないままであるが、ほんとは、もっと過酷な部分が日常だと思うのだが。
あと「夏」の魔法じゃないな。ひと夏という短期間でなく一年を通し生活したことが、魔法だ。
最後の、高峰の新しい恋の予感の描写もちょっと蛇足では?

王道、正統派の小説、物語。☆5つには少し足りないが、間違いなくオススメの一冊。