ぼくのボールが君に届けば

ぼくのボールが 君に届けば

ぼくのボールが 君に届けば

「ぼくのボールが君に届けば」伊集院静(2004)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、短編集、野球、少年

伊集院静が好きだ。作家としての伊集院静より、随筆家(エッセイスト)としての、漢(おとこ)としての、人間としての伊集院静に出逢ったのは、週刊文春のコラム「二日酔い主義」だった。舞台演出家で、夏目雅子のご主人で、伊集院静という洒落た名前。どうせ気障な男なんだろうと、知りもしないくせに、若造の突っぱらかった青い思いで敬遠していた。そんなぼくが、父が買っていた週刊誌のコラムを何気なく読んだときから、伊集院静にハマった。ええ?!と思うくらい自堕落な生活。酒に溺れ、ギャンブルに溺れ、自分にはできない漢(おとこ)ぶりに惹かれた。エッセイのなかで書かれる、自堕落な生活の中に佇む、花屋に活けさせた仕事場の鉄線の花の姿。心の潤いというか、涼みというか、真似できない憧れ。それが、伊集院静との出逢い。しばらくは随筆集を読みあさり、ほどなく、短編、そして長編を読むようになった。短編は繊細でたおやか、長編は骨太、雄大。それぞれに、別の作風を活かし、描く。流石。

本作「ぼくのボールが君に届けば」は、一つの同じ野球というテーマで集められた短編集。表題作「ぼくのボールが君に届けば」に始まり、「えくぼ」「どんまい」「風鈴」「やわらかなボール」「雨が好き」「ミ・ソ・ラ」「キャッチボールをしよう」「麦を噛む」の全九編が収められている。 続く、短編集「駅までの道をおしえて」http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/1884414.htmlが、野球と少女をテーマとしているなら、こちらは野球と少年がテーマ。男の子の後ろ姿、女の子の後ろ姿、二つの本を並べて見ると、とても愛らしい。表紙が伝えるあたたかさ同様、様々な題材が、野球というテーマを通じ、優しく、温かく描かれる。

短編というものも色々な形態、手法があるが、この本は、「切り取る」作品だと感じた。写真家が、カメラのファインダーを通し、風景を切り取るように、伊集院静の目を通じ切り取られた世界、生活。切り取られた世界には、決してそこで完結しえないものも一緒に切り取られ、それが余韻となっている。ポートレイトを撮影した際、その人物の風景が背景として同時に写し取られる。そのことにより、その人物の、人間性がより伝わる。そんな感じ。

本書でぼくがいちばん好きな作品「雨が好き」。
傍(はた)から見れば、嫁をいじめているような、祖母と母の関係。それは、重要な背景であるが、主題ではない。だから、作品の中で、母と祖母の関係を明確には説明してくれない。しかし読み手は、伊集院静の筆によって、こういう人間関係というものが、確かにあり、あったということを認識させられ、余韻を味わう。説明されないことに不満はない。
いや、この作品の魅力は、まさに「切り取る」。雨の描写が素晴らしい。まさに雨が、丁度いま降りはじめた。そんな匂いも含め、その瞬間を切り取った描写。巧い。

野球好きな少女と、少年の、淡い恋にさえ届かない出逢い「どんまい」。
大リーグで活躍する松井に、亡くした最愛の孫の面影を見る孤独な老女。息子との結婚のときから許せなかった嫁の墓参りに出かけ、許し、いや赦されたとき気づいた、孫の笑顔に輝いていた、松井と同じえくぼ。それを孫に伝えていたのは・・。「えくぼ」
聖橋で出逢った、入院する妹を持つ卒業を控えた中学生の男の子。合格発表の日だが、不合格は分かっている、試験を白紙で出したから。人の命はとりかえっこできないの?聡明そうな男の子の子供じみた質問と行動。そんな彼と一日を過ごす主人公も、男同士で情を交わした旧友をエイズで亡くしていた・・「キャッチボールをしようか」
最愛の息子を亡くした。紫外線に当たることが致命傷となる難病の息子に、野球を教えてしまった。そのことを妻になじられる。青空の下の野球場が見たかった・・と言っていた息子・・「麦を噛む」

切ない、温かい掌編たち。

ただ、決して不満がないわけではない。
人を見ないで、人を育てないで、ひたすら自分の成績のみで、生きていたビジネスマンがある日失脚した。子会社の役員へと左遷させられたある日、ふと立ち寄った天草で出会った酒場の女と過ごす一夜。語られる物語は、切なく、哀しい。でも、これは、やはり、男性にとって都合のいい女の話し。いや、いい話しなんだが、。「やわらかなボール」

キャッチボールというあそび。お互いを思い、まず、やわらかく投げ合うことからはじまる。すこしづつ離れて、投げる。お互いの信頼。暴投した場合、ボールを投げられたほうが走る。ひとつの本のなかで、このキャッチボールという同じテーマの作品が並ぶ。そこが少しだけツライ。ひとりではできない、ふたりでするキャッチボールというものに寄せる思いは分かる。いや、伝えたい想い、こめる想い、はとても理解し、素敵だと思う。ただ、どうしても、狭義な同じ題材が並ぶのはツライ。
それは、ほんの、少しだけの不満。この作家が好きならばこそ、敢えて挙げておきたい。