θ(シータ)は遊んでくれたよ

Θ(シータ)は遊んでくれたよ (講談社ノベルス)

Θ(シータ)は遊んでくれたよ (講談社ノベルス)

「θ(シータ)は遊んでくれたよ」森博嗣(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、Gシリーズ

「Φ(ファイ)は壊れたね」 http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/1883945.html
に続くギリシア文字の「G」、Gシリーズの二作目。
森博嗣の書く現代ミステリーシリーズは、もういいやと思った。同じキャラクターを関連させることで、ファンだけを喜ばせる。確かに魅力的なキャラクターだと思う、犀川&萌絵。本作ではついに、保呂草潤平そして真賀田四季の名前まで。でも、それでいいのか?仮にシリーズものの作品であってもひとつの単独の作品として発表される限りにおいては、単独で読んでもおもしろく読めるべきでないか。この作品は、さらに新しいGシリーズのはずなのに過去のシリ−ズの登場人物をひきずる。知っていればおもしろい程度ではない、知っていなければ面白さ半減。初めて読む読者は、とまどい、そして失敗したと思うだろう、最初から読めばよかったと。ならば背表紙に「森博嗣現代ミステリーシリーズ26:Gシリーズ②」とでも書くべきだろう。そうすれば、もっと分かりやすい。あぁ、これはシリーズ26巻なのか・・・。
「S&M」「V」「四季」そして「G」これらは一連の作品なのだ。

主人公たちの周りで、連続自殺事件が起こった。自殺者はなぜか一様に、身体の一部、あるいは身につけていたものに口紅でθの文字を残していた。本当に、自殺なのか?それとも連続殺人事件?「θ」とは何か?

あれ?主人公の周り・・って、主人公って誰だ?加部谷か?萌絵か?。主要な登場人物はすべて主人公?
本作を探偵小説とするなら、無口な海月(くらげ)及介が探偵なのか、はたまた以前と同じく犀川助教授が探偵なのか。よくわからないが、ふたりともアームチェア・ディティクティブ(安楽椅子探偵)、トリックを論理のみで解き明かす。でも、この二人は探偵のくせに主人公でないな、犀川氏にいたっては完全にバイプレイヤー。
森博嗣の作品の多くは実はミステリーではない。本作もトリックは解き明かすが、作品の目的はトリックを解き明かすことでなく、解き明かす過程における登場人物たちを描くこと。お洒落で、テンポよい登場人物たちの会話、行動、そして小気味よい文章。これを楽しむことが森博嗣の作品。

会話と文章を楽しむという点においては、森博嗣の作品はおもしろくないワケではない。スゴイと思うのは、この現代ミステリーどのシリーズの登場人物は、全て魅力的で活きていると云えること。たとえ、目的が登場人物たちの関係、行動を楽しむためであったとして、なかなかこうはいかない。ネーミングのセンスも秀逸だが、各キャラクターの人間関係もきちんと計算されている。完成した作品たち、完成した人間関係。でも、残念ながらシリーズという枠の中で完成してしまっている。もはや、それ以上でも、それ以下でもない。これ以上この現代ミステリーのシリーズにつきあっても何かが新たに出てくるとは思えない。

「すべてがFになる」を初めて読んだの驚きより、森博嗣を読み続けてきてしまったので、これからも惰性でつきあってしまうとは思う。おもしろいし、読める。でも、決して本作を、本シリーズを人には薦めないだろう。「S&M」シリーズから読んで、気に入った人がここまでついてくるなら、それもいいだろう。

「S&M」シリーズは今でも自信をもって人に薦めることができる。あるいは「スカイ・クロラ」に始まるキルドレのシリーズもいい。これらのシリーズの作品は、シリーズを離れても単独作品として楽しめる力があった。勿論、順番に読む方が、より楽しめるのは勿論だが、。

本当にそろそろこの永遠に続くシリーズをなんとかしてほしい・・。切に思ってしまう。