犬は勘定に入れません-あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎-

犬は勘定に入れません-あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎-」コニー・ウィリス(2004) ☆☆☆★★
※[933]、海外、小説、SF、タイムトラベル、エリザベス朝、犬、猫、ヴィクトリア朝ラブロマンス、ミステリー

ネットの書評を見ると、みなさんとても評価の高い作品。531ページ、細かい活字&二段の膨大な長編。しかし、実は大した事件は起こっていない。物語を読むというより、ユーモアを交えて描かれた主人公たちの些末な行動、会話を楽しむといった作品。と、書いてみると最近読んだ森博嗣の現代ミステリーシリーズの楽しみ方に近いかも。もっともその濃度は段違い、近代英国文学、文化ならびに近代ミステリーに造詣の深い方が読まれると、とてもおもしろいはず。造詣が深くなくても、大丈夫、訳注が親切なので、なんとなく雰囲気は味わえるから。

ゆったりした気分で読むのが正解。よく言えば微に入り細に入り、悪く言えば冗長な作品。僕も時間がたっぷりあるとき読めればよかったのだが、宿題がたまっている状態で読んだため面白さが半減したかも、残念。丁度同時代を描いたマンガ「バジル氏の優雅な生活」(坂田靖子)の英国紳士のように、ゆったりと、形式を重んじ、ハメを外し、そんな世界を楽しむ作品。しかし執事は、本当に大変な時代、お疲れ様。

この作品の重要なキーワード、アーサー王の聖杯よろしく主人公たちが捜し求める「主教の鳥株」ってなんだ?カタカナでバード・スタンプって書かれても?こう、もう少しわかりやすい訳語にならないのか?って読み進めていて、やっと361ページ(!)の訳注でおぼろげに理解。作品的には具体的にそのモノ自体の重要度が高いのでなく、大聖堂の遺物として重要。故に、もっと他のイメージしやすいものでもよかったのでは?もっとも、いったいなんだろうと思いながら読むことも楽しかったのだけど・・。
原語で読んだ場合、どうなんだろう?ちなみに作品では、既知の事実として扱われ「主教の鳥株」とはなんぞやという謎解きミステリーではない。

2057年。オックスフォード大学の史学部学生ネッド・ヘンリーは、第二次大戦中、ロンドン大空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂再建計画の責任者レイディ・シュラプネルの命令で、資料集めの日々を送っていた。何度もタイムトラベルを繰り返し、ジェットラグ(時差ぼけ)ならぬ、タイムラグ(時代差ぼけ)にかかったヘンリーは、病院から二週間の安静を言い渡された。しかし献堂式を目前に控えたシュラプネルが許してくれるわけがない。シュラプネルが今、最も求めているのは、大聖堂が焼失した時、消失した「主教の鳥株」と呼ばれる大聖堂の遺物。献堂式までに捜し求めること、史学科のすべてのスタッフを総動員して行われていたのだ。
ダンワージ先生の粋な計らいのおかげで、シュラプネルから逃れ、ヴィクトリア朝の時代へタイムワープしたヘンリー、そこは窮屈で格式の厳しい世界、そしてそこで待っていた任務とは・・。
ビクトリア朝時代で出会った若者テレンスのおかげで、テムス川を優雅に船で下り、溺れかけていたペディック教授を拾い、男三人、そして勘定に入れないテレンスの愛犬シリルの珍道中の船旅が始まる。ヘンリーのあせる気持ちと裏腹に、テレンス、ペディック教授は勝手にことを進めてゆく。そして、船は転覆。遭難した三人が身を寄せた先は、消失した「主教の鳥株」の所在の謎を解く重要人物であるトシーの住むミアリング大佐の家。同じ現代からやってきて、トシーの従姉妹としてこの家にいたヴァリティと、ヘンリーは歴史どおりにことが進むようあれやこれやで画策をするのだが・・・。
ふたりは無事に歴史をレールどおりに進めることができるのか?「主教の鳥株」は発見されるのか?

若い淑女は、つきそいなしで若い男性と二人きりで過ごすことなど考えられない時代に、現代からやってきたヘンリーとヴァリティは作戦会議を行うために、そのたびに人目につかない場所で打ち合わせなければならない。現代と違い、女性の前では、たとえ飼い猫のことでも性に関する表現はタブーとされている。そんな堅苦しい格式の世界のなかで、奮闘するヘンリーとヴァリティー

タイム・トラベルによる歪みを、歴史の力が修正していくタイム・パラドックものであり、タイム・トラベルもの。消失した「主教の鳥株」の行方を探すミステリー。ビクトリア朝時代の人々を描く時代小説。勿論、上質なユーモア小説。そして忘れてならないラブ・ロマンス。あ、てんこ盛り。
それから、ブルドックのシリル、そして猫のプリンセス・アージュマンドを描くほほえましい筆。
いや、良作。でも、今回は☆3つ。良作ではあるけれど、皆が褒め称えるほどには個人的には入り込めなかった。これは読み手として個人的資質。ぼくは同氏の、名作と評判の「航路」もちょっと評価できなかったクチですので。

個人的には350ページあたりから盛り上がってき、一番好きなのは、
「そして百六十九年間にわたるキスをした」(486㌻)

秋の夜長、ゆっくりと紅茶なぞ飲みながら、あるいはホットウィスキー(スコッチ)でナイトキャップを嗜みながら何日もかけて読むなんていうのにぴったりな一冊かもしれません。

蛇足:もう少しヴィクトリア朝時代の風俗が細かく言及されていてもよかったかなぁ。紅茶の薀蓄とかね。そしたら、どんな大作になってしまうのかな?