死神の精度

死神の精度

死神の精度

「死神の精度」伊坂幸太郎(2005)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、短編、ミステリー

ネタバレあり、未読者は注意願う。

今年(2005年)の新刊のはずなのに、もはやすっかり出遅れた感。頑なに図書館で借りるにこだわっています(苦笑)。もともと伊坂幸太郎との出会いは、図書館の書架にぽつんと寂しげに佇んでいたデビュー作「オーデュポンの祈り」だった。いまやすっかり売れっ子。当時から一部では評価の高い作家であったが、こんなに売れっ子になってしまうと、昔からのファンは寂しい限り。

ネットの本読み人仲間(?)は概ね書評をアップされてるようなので、ネタバレあり、ということで・・。

死神の仕事は調査部の決めた調査対象を一週間調査し、「死」に該当するか否か判断する。そして担当者部署に「可」か「見送り」を報告するだけ。「可」の報告をされた対象は、調査開始から八日目になんらかの原因で死を迎える。寿命でなく、こうした「死」が存在するのはバランスの問題。
「死」の判断はだいたいにおいて「可」。仲間のなかにはいい加減に調査し、回答する者もいる。千葉と呼ばれる、あるいは名乗る死神はまじめに調査することを旨としている。そんな、死神千葉と「死」の対象者との物語、短編連作集。
「死神の精度」「死神と藤田」「吹雪に死神」「恋愛で死神」「旅路を死神」「死神対老女」の六篇からなる。

死神は、その調査毎にその姿を変える、年齢、容姿。そういう設定で個性を描き出すことは難しいはずなのだが、伊坂は相変わらず巧い。個性を外見でなく、内面と行動で描く。死神全般が、自分の普段過ごす世界にはないミュージックを愛する。こちらの世界で仕事をする間、暇があればCDショップで視聴している。それは千葉に限らない。深夜のCDショップで、CDをひっそりと視聴している死神たち。
常にまじめに調査をしようとする千葉。人間のことを理解しようと、知らない言葉があると人に尋ねてみる。「それは、あれか、〜〜みたいなものか。」マジメに問いかけをしているのだが、微妙にズレる。
仕事をするといつも雨に見舞われる、雨男である千葉。姿、形は思い浮かばないが、一人称「私」で語られる千葉を読者はイメージする。

クール、ポップ、キュート、お洒落、乾いた文体。伊坂の作品について、特に最近の作品について、常にそんなキーワードが浮かぶ。この作品も同じ。より深い、深みはない。心地よい音楽に身を任せるような、そんな気持ちの良さ。

☆は4つ。どちらかというと3に近い。深みのなさ、そして巧すぎる点が欠点。問題は「老女対死神」

以下ネタバレあり。

多くの本読み人はこの最終話「老女対死神」が秀逸と語る。
なるほど、巧い。さりげなく第一話「死神の精度」の対象者、藤木一恵がさりげなく出てくる。あるいは第四話「恋愛で死神」の対象者荻原の恋人、古川朝美のことも語り、連作短編としてひとつの作品としてのまとめを図る。
はじめは、え?時代設定おかしいのでは?CDって少なくとも20年くらい前から普及だよな、ストーカーって言葉もここ10年だよな、と思わされるのだ。しかし、あぁこの話だけはいま現在の現代ではなく、これから先の物語なんだ。それがわかった瞬間、唸ってしまう。あえて、ミスをしたように見せて、実はきちんと計算されている。それは、映画のセリフであり、何十年前の古いジャケットである。故に読者は、一瞬に伊坂マジックに幻惑されてしまう。そして雨男であったはず死神が、最後にいままで見ることのなかった青空を見る。

濁りのない青色が一面に広がっている。雲の欠片もなく。延々と空だ。

巧い、巧いのだ。が、故に、その「巧さ」に気づいた瞬間、評価を下げざるを得ない。本当に巧いのならば、読者に「巧さ」を気づかせてはいけないのではないか。伊坂が故に求める、高いハードルである。伊坂は、「巧い」作家である。そして、その「巧さ」が魅力、あるいは個性である。しかし、少し鼻につきはじめているのも事実。そうした伊坂が今後どう巧く書いていくか、ますます楽しみである。

蛇足:上の感想では触れられなかったが、この作品の魅力は変にハートウォーミングにしないで、千葉という死神が対象にくだす判断が概ね「可」であること。第一話を読んでそちらのほうを期待すると、小気味よく裏切られる。たとえ対象者の寿命が、あと一日後であっても、一年後であっても、死神は淡々と判断をくだす。クールだ。
蛇足2:本作品でマンガ「DEATH NOTE」(原作:大場つぐみ,画:小畑 健)をひきあいに出した論評も見られたが、確かにこのマンガを見て伊坂がインスパイアされたかもしれない。設定としての死神。でも、全然、作品は違う。