ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶

ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶

ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶

「ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶」大崎善生(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、文芸、文学、恋愛小説、短編小説

今年度出会った本のなかで、現在のところベストと思われる「聖の青春」 http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/1890989.htmlを書いた、大崎善生の最新刊。図書館の新刊リストに氏の名前を見かけて予約した。もともと、大崎善生は「パイロットフィッシュ」http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/1890834.htmlを薦められて読んだのが始まり。その後、デビュー作の「聖の青春」、「将棋の子」といったノンフィクションに遡り、そのままだった。故に小説家の大崎善生はほとんど知らない。

正直、恋愛小説は苦手。本作は、正統派の恋愛小説。4人の若い女性を主人公とした、それぞれが単独の作品。しいて共通項をくくるならば、どの作品も、どちらかといえば孤独な若い女性が主人公であるということ。「キャトルセプタンブル」「容認できない海に、やがて君は沈む」「ドイツイエロー」「いつか、マヨール広場で」の四編から成る。成るというのは、あくまで一冊の本ということで、この四つの短編を無理やり関連付けするのは無意味。

本書を読んで感じたのは、大崎善生の文章の巧さ。先日、伊坂幸太郎を評して「巧い」と述べたが、大崎のそれは、伊坂のそれとは別の世界のもの。例えるなら、文芸とか文学とか、あるいは文壇と呼ばれる世界の巧さ。理知的で冷静な筆が、事象を描くと同時に心象を描く。大人というか、老成した巧さ。少なくとも、ぼくの知っている「パイロットフィッシュ」までの大崎とは、どこか違う。成長したというべきか。

四作とも巧い作品である。大崎の文章に身を委ねる心地よさ。でも、やはり苦手なテーマ。結局、こうした作品の例に漏れず、一人称で語られ、内省し自分の中で解決を見つける。主人公と同化できれば、まだカタルシスも得られるのだろうが、どうあがいても中年のうらぶれたサラリーマンの自分が、高校から大学といった若い女性に同化できるわけがない。大崎もそれを許す書き方をしていない。
よほどのことがない限り、この本は大人の女性読者のための作品。セックスの描写が、やけに冷静で、情感を寄せつけない。あくまで生きていくうえで必要なコトとしてのセックス。そこに青春の夢や、情感といったものは感じられらない。たぶん、それはひとつの真実なんだろうけど。

評価不能。ただ大崎善生の世界がここに確立されているなら、僕の読みたい世界とは隔絶したところにあると言える。哀しいことだが、。僕はあくまでも「物語」が好きなんだ。