果てしなき渇き

果てしなき渇き

果てしなき渇き

果てしなき渇き深町秋生(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、ハードボイルド、ノワール、このミス大賞

第三回このミス大賞を、さきに評した「サウスポー・キラー」水原秀策http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/4911758.htmlと同時受賞した作品。なるほど甲乙つけがたい、というのは褒め言葉ではない。「サウスポー・キラー」同様、あともうひとつ何かが欲しい、深みが足りない。この作品の場合はおそらく、うぅんと唸らせるような動機が希薄。決して面白くないわけでない。さきの作品を評したときに語ったとおり「このミス大賞」は、どうしてもあともう少し何かが欲しいと思わせる。仮に新人のデビューの場だとしても、だ。

八月、早い台風の訪れ。暴風雨の街を、誤作動による警報機の報知に振り回されるひとりの警備会社社員。元刑事の藤島がかけつけたコンビニ店は、血の匂い漂う殺戮現場のあとだった。
事件から一週間後、事務所の藤島に、離婚して以来一切音信を絶っていた元妻より電話がかかってきた。娘がいない、そちらにいっていないか。妻の不倫相手に暴行を加えたという事件を起こしたため、警察を辞めさせられた藤島のもとに娘が来るはずがない。娘は十七の女子高校生、優秀な成績で、奨学金による大学進学を目指していたはず。年齢に似合わない美しさをもっていた。数年ぶりに訪れたマンションの娘の部屋で藤島が発見したのは、覚せい剤の小さなビニール袋。数にして百個程度、末端価格百万円を軽く越す。成績優秀で、真面目なはずの娘になにがあったのか。娘は俺が見つけ出し、守ってやる。藤島の執拗な探索が始まる。
主人公藤島が娘を探す現在と、三年前、級友に残虐な虐めを受ける少年のふたつの物語が交互に進む。ふたつの物語の鍵を握るのは藤島の娘、加奈子。ふたつの物語のなかで加奈子の真実の姿が露わにされていく。藤島は、最愛の娘、加奈子を発見することができるのか、そして、加奈子は何をしていたのか・・。

久々に、気分が悪くなるような描写に満ち満ちたノワール小説。肉体的に、精神的に追い立てられる少年。自分勝手ないいわけで、昂ぶる性欲を発散する主人公。目を背けたくなるような暴力描写。血の匂い、糞の匂い、加齢臭、汗の匂い、すっぱい嘔吐臭。視覚、臭覚をイメージさせる描写。悪い言い方で「おんなこども」の見るものではない。馳星周新堂冬樹あるいは花村萬月といった作家のノワール小説を彷彿させる。鬼畜。その対象が、中学生の子どもであり、幼児を前にした主婦であったりすることが、不快感を増幅させる。
しかし、読み物として、それがスパイスであるならば、ぼくはそうした描写は否定はしない。あるいは絵空事で済ませられるならば・・。
本作品はどうなのだろう。微妙なライン。絵空事でない空虚なリアリティー。いじめや、若者たちの暴力シーンが、いまの若者ならありえてしまうのかもしれないと思わせる。作品としてというより、切り取ったその部分に妙にリアリティーを感じ、嫌悪感をとめることができない。作家の狙いなのだろうが。

嫌いではない、この作品。しかし、最初に述べたとおり、あともうひとつ。
それは、すべての事件のはじまりとその動機。「白夜」東野圭吾に比される評も見られるが、ぼくはそんな、何年もかけて周到に計画されるということが、どうしてもありうることとは思えない。だから「白夜」も買わないのだが、。また、藤島の後日譚、最後の謎解きも余計。確かに娘の行方を捜すのがこの作品のテーマではあるのだが、このまま謎でもよかったのではないだろうか。

☆は3つ。まず万人は薦められない。次に、あともうひとつの欠如。しかし、この作家には期待する。最近、すっかり日和った新堂冬樹、あるいは最近毒がなくなってきた花村萬月のポジションをぜひ埋めて欲しい。

蛇足:とはいえ、暴力の対象、被害者はやはり、おんなこどもははやめて欲しい。ノワール小説は嫌いではない、しかし残虐描写が好きだからというわけではない。