東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」リリー・フランキー(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、母子、ノンフィクション

万人が涙し、万人が感動する・・ライトノベルが流行の昨今、新聞で「簡単に、お手軽に感動したがる若者」という記事を見かけた。感動することは心地よい。しかし、本当に大切なのは感動した後。そのとき何ができるのか。

敬老の日に訪ねた実家の、妹の部屋で見つけたこの作品、黙って持ってきてしまったが、妹はどんな感想を持ったのだろう。僕の母もたくさんの客を呼ぶのが好きで、得意の料理を振舞うのが好きだ。この作品の中のオカンと同じとは言わない。しかし読者はリリーの描くオカンに、自分の母親の姿を重ね、あるいはこうあって欲しいという友人の母親の姿を思い浮かべ、作品の中に入り込む。駄目息子であるリリーを、無償の愛で受け止め、愛するオカンの姿に、笑い、涙し、そして感謝する。

夫婦でありながら30年以上別居を続け、父親に会うのも数えるほどであったというリリー・フランキーの半生記。そう、これはオカンの物語ではなく、リリーの物語。オカンと過ごした半生を振り返り、大好きだった人の生命の重さを知る、同時に生命の儚さをも知る。この物語の後、リリーはどう変わっていくのか。
一人称で淡々と書き綴られる決して巧くない文章。構成も疑問。説明もなく唐突に現われるリリーの友人たち。小説として、ひとつの作品として評価するならば、正直、決して及第点までいかない。しかし、この作品の力はそういうところではない。淡々としているが、愛に溢れたリリーの筆は、愛するオカンの姿を通し、市井の小さな市民であっても、たった一人の人間のちっぽけな生命であっても、それはとても貴重で、重いものであるということを語り、訴える。

正直、いま、この作品を評価するは難しい。確かに涙をこぼしそうになり、感動を覚えた。しかし、それが単独の作品の力なのか、それとも根源としての人の「生命」というものの重さ、力なのか。この作品の評価は三年を待たねばできないのではないか。ロングセラーを続け、読者が変化、成長をしたと言えたとき、初めてこの作品は名作だったといえるのではないか。

まず読んでみる。まず、母親に感謝する。それを行動に移す。そして、その後・・。

蛇足:セールスのためとはいえ、帯にまかれた書店店員の両手放しの賛辞は興醒め。売り手のプロは、読み手のプロではないんだと、残念。
蛇足2:この作品を読んで感動した方は、同じノンフィクション「聖の青春」大崎善生http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/1890989.html、壮絶に将棋の道を究め、29歳の若さで夭逝した村山聖プロの短い一生を読んで欲しい。