家守綺譚

家守綺譚

家守綺譚

「家守綺譚」梨木香歩(2004)☆☆☆☆★
※[913]、国内、小説、文学、幽玄、幻想、近代、ファンタジー

あぁ、巧い。確かにこんな日本はあったよな。そう思わせる世界がここにある。和歌山の海難事故が触れられており、そこから「ほんの百年すこしまえ」となるわけだが、年代は限定しない近代という時代、現代のすこし前。そう、「高野聖泉鏡花があった時代。それまでの蝋燭、あるいは行灯、灯火の薄暗い世界に、電燈に象徴される近代文明が、明るい光と、くっきりした影の二元の世界を持ち込み始めた頃。それまでの日本は、薄明かりと、薄暗い陰の境界がはっきりしない、曖昧な世界。隣り合わせにあちらの世界があり、ふと気がつくと、あちらの世界とこちらの世界が交わっている。日本という国は、そうした曖昧さが許された世界であったのだ。この作品を読んで、ついこの間まであやかしのものと共生してきた日本という特異な国を改めて意識した。そして、今、この明るい電化製品に囲まれた時代においてさえ、その世界を違和感を持たず、郷愁を抱いて共有できる日本人であることを意識した。理屈や、理論ではない。

湖でボートを漕いでいる最中、行方不明となった学生時代の親友高遠。売れない文筆業であった綿貫征四郎は、親友高遠の年老いた父より、家の守を頼まれた。自然に囲まれたその家で遭遇する数々の怪異たち。二十八の短編から成る作品。
床の間の掛け軸から何事も無く現われ、帰っていく高遠。高遠の訪問を、当たり前のように受け止め、訪問が遠のくと寂しさを覚える綿貫。サルスベリは綿貫に懸想する。タツノオトシゴを孕み、白龍を産む白木蓮。河童と掛け軸の中のサギの喧嘩を仲裁するゴローという犬。小鬼が現われ、桜鬼が別れの挨拶をする。狸が人を化かすことは当たり前の世界。
隣家に二十余年住むのおかみさんは、怪異についての綿貫の持つ疑問をあっさり回答してくれる。近くの寺の和尚は豪気。不思議な長虫屋

装丁がとても素晴らしい。近代文学のようなすっきりした文体が、過剰な修辞を許さず、気持ちよい。そして、一篇、一篇の作品がそれぞれ、関連しあってひとつの作品を作っているにも関わらず、それぞれが独立して不可思議な世界を心地よく紡ぐ。それぞれの短編のなかで不思議を、すっきり解決するわけではない。しかし、普段の生活ではありえない不可思議が、違和感なくあること、そのこと自体が心地よい作品。あぁ、こうした世界が確かにあった、という感じ。

最終譚「葡萄」
いつの間に辿り着いた不思議な世界。喉が渇いていたが、勧められた葡萄を断る綿貫。こちらの世界に惹かれてはいるが、与えられる理想より刻苦して自力で掴む理想を求めている自分に気づく。こちらの世界は私の精神を養わないと、きっぱりと断る綿貫。否定するつもりはない、しかしまだここに来るわけにいかない、家を、友人の家を守る事情がある。綿貫の言葉に喜ぶこちらの世界の人々。見上げてみると、空は月長石で、出来た巨大なレンズのよう。此処は湖底の世界か。
−行ってみれば何ということはなかったろう。高遠が低い声で呟く。あぁ、こいつは葡萄を食べたのだな。
−また来るな?掛け軸に帰る声をかける。−また、来るよ。

最終譚。高遠の帰った後の、しんとした静けさ。
この後この隣り合わせの世界と、こちらの世界がどうなっていくのかはわからない。もしかしたら、通り抜ける扉は閉じられてしまったのかもしれない。そこから先は、読み手のイマジネーションにすべて任される。その余韻が素晴らしい。

ふとした時に、思いついた短編を読む。そんな楽しみ方をいつまでもしたいと思う、そんな本。

蛇足:二十八の短編の各タイトルは、すべて植物。この植物の姿が思い浮かぶなら、もっと面白いと思う。