上がれ!空き缶衛星

上がれ! 空き缶衛星

上がれ! 空き缶衛星

「上がれ!空き缶衛星」川島レイ(2004)☆☆☆★★
※[538]、国内、現代、ドキュメント、人工衛星カンサット

「2005年のロケットボーイズ五十嵐貴久 http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/12389212.html がおもしろかった。その作品のタネ本の一冊。実はその作品でテーマとなったキューブサットというものががいまひとつ理解できなかった、イメージできなかった。それが本書を読もうと思ったきっかけ。本書は、キューブサット以前のカンサット、ジュースの空き缶程度の大きさ、あるい空き缶を利用して作る人工衛星を、日本で始めて製作し、打ち上げた大学生たちのドキュメント。


5年とほんの少し前、1999年、日本で初めて学生の手で作り上げた人工衛星が打ちあげられた。残念ながら、宇宙までとはいかなかったが。そして現在、学生たちはさらに進化した10cm四方の立方体のキューブサットと呼ばれる人工衛星を打ち上げている。打ち上げられたキューブサットからは、地上に通信さえ送られてくるという。技術の進歩の早さには驚かされる。反面、その、ほんの5年前の、学生が人工衛星を作り打ち上げることが想像もできなかったときに、限られた予算、限られた期間に、お手本となるものもないなかで、手作りで人工衛星を作り上げた学生たちと、それを見守る指導教員たちの苦労があった。それがあったからこそ現在の姿があるのだ。先駆者、先駆け、パイオニアとしての彼らの手探りの苦労の物語。


しかし、実は人工衛星つくりの苦労があまり伝わらない。爪の先が紫になっても、黒くなるまでは大丈夫といって不眠不休で人工衛星を作る彼らの苦労が、実感として伝わらない。爪の先が紫、って一般的に疲労のインジケーターなのか?全般的に淡々と書かれており、あるいは登場する学生たちに均しくスポットを当ててしまったがゆえに、散漫な印象となってしまった。登場人物、あるいは衛星製作の集団に同化、共感できないままに読了してしまった。ドキュメントゆえに敢て作家は、感情を排したのだろうか。しかしただ「苦労した」と書かれても、心には響かない。こうしたドキュメントを読むときに、期待するのは、少なくとも僕が期待するのは、リアルな現実という中にある感動だ。残念ながら、この作品からはそれを感じることはできなかった。
それではこの作品が、ドキュメントとしてカンサットという人工衛星の知識、情報を伝えてくれたかといえば、そうでもない。なぜ、この人工衛星がスゴイのか、僕には結局よくわからなかった。企業が多額な研究開発費をかけて製作してきたものを、学生たちが手作りで製作したといえば確かにスゴイのだが、もともとこの小さな人工衛星のどこにそれほどの技術が必要なのか、もっとわかりやすく説明して欲しいと思った。とくに読んだきっかけが、そのことを知りたかったがためだから。どうしてそんな小さな人工衛星に、人手がたくさんいるのだろう?理系の人なら当たり前のことなのだろうか。


どんな小さなことでも、書き手の筆によってドラマは再現される。ドキュメントではあるが、是非彼らの中にドラマを探して、この作品をドラマとして読める一冊にして欲しかった。残念だ。


蛇足:本作品を読んでも。「20005年のロケットボーイズ」のおもしろさは、ぼくの中では変わらなかった。青春小説バンザイ!
蛇足2:本書でとりあげられたふたつの大学の、キューブサットのホームページのURL。

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