今ここにいるぼくらは

今ここにいるぼくらは

今ここにいるぼくらは

「今ここにいるぼくらは」川端裕人(2005)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、少年、成長、思い出

久々に作品と帯が一致していた”今も自分の居場所を探しているすべての大人たちに”。あぁこの帯を書いた人はきちんと読んで書いたのだな。帯を含め、一冊の本がとても丁寧に作られたという印象を覚える、とても好感の持てる一冊。川端裕人という作家の作品を書く姿勢、作品についてはいつもとても好感を覚えるのだが本作品も期待を裏切られなかった。

名前から「ハカセ」と呼ばれる大窪博士少年の、小学校1年生から6年生までを幾つかのエピソードで綴る連作短編集。
Ⅰムルチと、川を遡る、Ⅱサンペイ君、夢を語る、Ⅲオオカミ山、死を食べる虫をみる、Ⅳ川に浮かぶ、星空に口笛を吹く、Ⅴ影法師の長さが、すこし違う、Ⅵ山田さん、タイガー通りを行く、Ⅶ王子様が還り、自由の旗を掲げる、の七編から成る。

川、宇宙、少年、ひと夏、・・川端作品のキーワードが散りばめられている。この作品を読みながらぼくが強く思い浮かんだのは同氏の「川の名前」http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/8650880.htmlではなく、「せちやん」http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/8650880.html。まさに、今ここにいる自分の居場所に違和感を覚え、孤独を感じ、そして本当の居場所を探し求める自分。多勢をよしとするのでなく、たった一人でも、ありたい自分でいる。間違えた読者はそうした姿を「強い」と思うかもしれない、しかしそれは「強さ」ではない、素直な伸びやかなたった一人の自分に忠実に生きること。誰しもが持っている想い。

関西の小学1年生だった博士が、近所の乱暴者5年生のガキ大将、ムルチらとともに近所の川の源探しの冒険に出る。母親から遊んでいいと許された範囲を越え、上級生たちとともに林を、沢をかきわけ遡っていく。少年たちのひと夏の冒険。
小学校3年生になり東京のベッドタウンへ引っ越してきた博士、方言の問題から当初はからかわれたりしたものの、いつしか学級委員まで務めるようになっていた。しかし、時折、自分の居場所に違和感を覚え過ごす日々。
孤高の自由人サンペイ君、クラスのリーダー福ちゃん、しっかりものの女子小林さん、帰国子女で「風の又三郎」のようにある日転校してきて突然去っていった山田さん、オオカミ山の持ち主で、クワガタを育てるオニバとの出会いと別れ、どここ学校にもいそうな友人たち、ほんの少し前の時代なら誰もが経験してきたようなエピソードの積み重ね。

川端裕人とぼくは丁度、同時代に生きてきた。彼は1964年、ぼくは1965年、一年違い。だから、ここに書かれるエピソードはそのまま自分と重なる部分が大きく、それが故に共感を覚える箇所が多い。この作品に限らず、同時代を感じるマンガ、アニメの固有名詞、たとえば「エヴァ」「バイストンウェル」(「せちやん」)、「釣りキチ三平」「ポーの一族」(「今ここにいるぼくらは」)を時折登場させるが、それは作品の一般性を損なうのではと心配しつつ、同じ匂いを感じずにはいられない。そして、当たり前のように遊んでいた野原や、裏山や、池が開発によって失われていく同時代に生きたこと。
川端裕人の他の作品を知らない人が、あるいは別の時代を生きてきた今の若い人が、この作品を読むとどう感じるのだろう。

ネットで、他の人の感想を見ると「川」をテーマにした点に触れているものが多いのだが、個人的にはこの「川」が作品にきちんと活かされていたのかどうかは疑問。「川の名前」の時も感じたのだが、このことを「頭では理解はできる」のだが、どうしても「共感」まで辿り着かない。個人的な意見だが。

蛇足:冒頭、一人称で語りかける文章が敢て下手クソなのが、ちょっと気になる。