東京DOLL

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「東京DOLL」石田衣良(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、恋愛、IT、ゲーム

クール、スタイリッシュ、そしてスノッブ
MG(=マスター・オブ・ゲームクリエイター)と呼ばれるゲームクリエイター相良一登とヨリという少女の物語。
ミリオンセラーを続ける家庭用ゲームソフト、大ヒットシリーズの「女神都市(ヴィーナスシティ)」の続篇を構想中のMGは、ある夜コンビニでヨリという少女と出会った。その不思議な存在感を、ゲームのイメージに使えないか。うなるほどの金をもてあまし使い切れないMGにとって、ヨリは格好の着せ替え人形。契約金はヨリの美容学校入学にかかる費用200万円、期間は4ケ月、肉体関係は条項にない。ドレスを買いまくり、東京の色々な場所で撮影をするMG。東京という街のどこに置いても際立つ存在感をアピールするヨり。背中の蒼い翼のタトゥーが揺れる。
MGのゲーム製作会社DA(デジタル・アーツ)に、大資本のゲーム・メーカーEE(エッジ・エンターテイメント)が協力という名の買収を持ちかける。きらめく未来と、目前の大金に揺れる仲間たち。
月曜9時のドラマになりそうな、お洒落な街での、お洒落で、スタイリッシュ、そしてスノッブな物語。ヨリという少女との出逢いを通じ、MGは本当の大人になっていき、本当の愛に気づく・・

映画「マイフェアレディ」のように、MGがヨリを本当にただの素材として見つめ、素材を切り取ることから始まるなら、まだよかったと思う。しかし、この作品は最初からヨリを見つめ、結ばれることが運命のように書かれている。婚約者をあっさり裏切るMG。あるいは恋人を裏切るヨリ。気持ちは自分の思う方向に、あるべき方向には決して行かないのかもしれない。しかし、そこにある葛藤や迷いは形だけ。これは確かに”恋愛小説”。舞台と、手順とスタイルをきちんと整えたまさしく、恋だの、愛だの、の物語。それだけ。何も残らない。

最近の石田衣良、セックスシーンが多くないか?官能小説のようだ。街中で全裸になって写真を撮る・・幻想として在るならともかく、これではただの露出狂。あげく、屋外でセックス。共感できない。必要なセックス描写は仕方ない、しかしこの作品のそれは、作家が書くことに喜びを楽しみを見出すそれ、あるいはお手軽に読者を喜ばせようとする媚。

読み物として読む分には、楽しい、おもしろい。予定調和。しかし、そこに何も残るものがない。

うちの会社ってさ、ロックバンドと同じなんだ、その中で生き残るのは、本当に必要なのはMGだけ、そのほかのメンバーはバンドのメンバーのように取り替えがきく・・MGとともにゲームを創り、ともに闘ってきたと信じていたDAのスタッフの一人がMGに告げる。だからEEが持ちかける話を受けようとするんだ。

同じ作家の、同じITをテーマにした「アキハバラ@DEEPhttp://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/2255559.htmlの主人公たちなら絶対はかないような台詞。彼らは仲間だった。しかし、この作品のなかに仲間はいない。それはMGも同じ。
もし「アキハバラ@DEEP」の未来が、この作品だとするなら、とても淋しい。

仲間を書き続けてきた石田衣良の、仲間を忘れた小説「東京DOLL」。石田衣良の方向が見えなくなってきた。