サウスバウンド

サウス・バウンド

サウス・バウンド

「サウスバウンド」奥田英朗(2005)☆☆☆☆☆
※[913]、国内、現代、小説、沖縄、開発、個人、自由

「インザプール」「空中ブランコ」でブレイクした奥田英朗。個人的には、気楽に書いたと思われる、けれんたっぷりのこれらの短編集より、長編である「邪魔」や「最悪」のほうが好き。そんな奥田英朗の久々の長編。巷でやけに評判がよい。そういう時は用心だ。わかりやすく、売れる作品、万人にうける、あくも深みも何も無い、そんな作品が出てくるのでは?
不安は裏切られた。最高だ、この小説。文句無く☆5つ。爽快、痛快、本作品の表紙のように蒼く高い空。こんな大人がそばにいたら、大変だ。

主人公は上原二郎、小学六年生。年齢の離れた姉と、小学四年の妹桃子の三人兄弟。父、一郎、元過激派の闘志、今はフリーライターを語るが、何をしているのかよくわからない。母さくらが営む喫茶店「アガルタ」の収入で家族は生活する。物語は、二郎の視点で描かれる。
父一郎は徹底した反権力者。税金、年金を国に搾取されることを認めない。日本人であるが、日本国人ではない、国家なんかくそくらえ、搾取される労働もくそくらえ。年金係のおばさんに喧嘩を売り、二郎の担任に議論をふっかける。二郎にとってはいい迷惑。やれやれ。そんな二郎も、中野の地で友人たちと銭湯の女風呂を覗きにいったり、不良中学生にカツあげされそうになったり、子どもは子どもなりに事件がいっぱい。不良中学生の事件を通し、友情を育む二郎たち。
ある日、一家にひとりの居候が転がり込む、アキラおじさん。父の昔の知り合いに頼まれ、一緒に暮らすことになった。やさしいアキラおじさんだったが、ある日大きな事件を起こす。過激派の内部抗争で、相手側のリーダーを殺害してしまう。誰がアキラに人を殺すことを命じたのか、一郎は叫ぶ。
「革命は運動では起きない。個人が心の中で起こすものだ」「集団は、所詮集団だ。ブルジョアジープロレタリアートも、集団になれば同じだ。権力を欲しがり、それを守ろうとする」(P249)。
だからこそ一郎は集団で運動することの限界を知り、組織を抜けたのだった。父は伝説の闘志だった。
そうした騒ぎの中、突然沖縄に移り住むことを一郎は決める。友人への挨拶もそこそこに、沖縄の離島西表に引越す家族。

沖縄の西表に越してきた一家。人々が去った廃村の廃屋を生活する場所と決めた。父の知り合いに紹介された場所。沖縄はユイマール(相互扶助)の土地。みながそれぞれ何かしら持ち寄って来てくれて、家もあっという間に家らしく、生活できる場所になった。東京では働いている姿を見かけたことのない父が、この地では額に汗し、働いている。畑を耕し、海に漁に出る。
そんな一家にまたもや事件が舞い込む。一家の住む土地は開発業者が島の議員と結託し買い占めた開発地の一角だった。東京からやってきた開発反対運動のグループが、伝説の闘志として名を馳せた父を利用しようとする。開発業者は法律を盾に一家にいま住む土地を離れるように迫る。孤高の闘志父一郎は身体を張って立ち向かう、あたかもドン・キホーテのように。父は八重山の伝説の英雄アカハチの子孫だと人は言う。首里王府の侵略に最後まで命を賭して戦い、島民とともに権力と闘った勇士。父は、そんなの嘘っぱちだというが。

「二郎。世の中にはな、最後まで抵抗することで徐々に変わっていくことがあるんだ。奴隷制度や公民権運動がそうだ。平等は心やさしい権力が与えたものではない。人民が戦って勝ち得たものだ。誰かが戦わない限り、社会は変わらない。〜」
「おまえはおとうさんを見習わなくていい。お前の考えで生きていけばいい。おとうさんの中にはな、自分でそうしようもない腹の虫がいるんだ。それに従わないと、自分が自分じゃなくなる。要するに馬鹿なんだ。」(P485)

騒ぎを面白がるマスコミたち。マッチポンプのように、一郎を持ち上げる反面、司直をつつく。報道さえ盛り上がればいいのだ。その姿は、TVの画面を通して、あるいは新聞や週刊誌を通して、興味本位だけで世の中に起きる事件を眺めるぼくらの姿。

西表の小学校の校長は、一郎たちの騒ぎのなかで、生徒に語る。
「どちらが正しいか、先生にも島の人たちにもわかりません。〜大人の問題に首を突っ込んではいけません。すべての大人にはいい部分と悪い部分があります。あなたたちはそれに振り回されてはいけません。もしも疑問に感じたり、これはおかしいと思うようなことがあったら、それを忘れないでください。そして大人になったとき、自分の頭で判断し、正義の側につける人間になってください−」(P487)

自分のことは自分で考え決めて生きろ!集団に組するな!父一郎の言葉が心にしみる。これが児童文学でないのはなぜなんだ。まさしく、少年少女に送るべきメッセージ。そして、かって少年少女だった僕らへのメッセージ。
いかなる権力にも孤高に歯向かう一郎の姿。それに拍手喝采する僕らが、安穏と暮らしていられるのは、しかし実は国家があるからこそ。秩序と安定があればこそ。一郎が孤高に戦う姿は潔い。しかし、一郎が壊そうとする社会のあとに何があるのか、そのことも考えなければいけない。みながユイマール(相互扶助)なら素晴らしい。しかし、いみじくも一郎自身が語るように、集団になると権力を求める人間がいる、安全と安定を求める人の欲求もある。そうした真実のなかで、孤高に、自分自身の考えだけで生きていくのはとても難しい。そうしたことも心の片隅にきちんと理解しておくことも必要。それが奥田のメッセージだと思う

生き生きとした登場人物たち。500ページはあっという間。まさしくオススメの一冊。