東京奇譚集

東京奇譚集

東京奇譚集

東京奇譚集村上春樹(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、短編集、文芸、奇譚

可もなく、不可もない、佳作。
正直、村上春樹という作家の評価については常々、困ってしまう。好きな作家の一人であることは確かだが、その作品を解体してみたいと思うものでもなく、本当に「ただ」読みたい作家の一人。過度の期待もないし、また不安もない。本作品は、村上春樹の久々に上梓された短編集、「奇譚」5編が集められた一冊。それぞれの作品は、単独に独立した短編である。少なくともぼくにとって、この一冊をしてひとつの「作品」として何かを語ることはできない。しかし「ひとつの作品」として捉える読み方をする本読み人がいても、また不思議ではない。そういう作家のひとり。尤も、それはぼくには遠い世界。


「奇譚」とは、簡単に言えば不思議な話。本作品に収められた各短編は、多くの人が語るように、村上春樹の他の作品の中で語られる物語、エピソードと大きく変わったものではない。強いていえば、冒頭の作品の中で一人称で語る作家、村上が、自分の出会った不思議な偶然の物語を語ることから始まり、あくまでもこの本に収められた内容が真実であるかのように書かれたことが、少し違う。しかし、この語り手、村上も果たして本当に、村上春樹自身なのか、それともフィクション(虚構)の語り手である記号として村上なのか、読み手としてのぼくにはどうでもよいこと。ぼく個人は気持ちよく、村上春樹の文章と物語に漂えうことができ、その余韻を楽しめた。それでよし、そんな一冊と位置づけた。


雑誌掲載4編と、書き下ろし1編の5編、「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」(書下ろし)からなる一冊。


奇譚のあらすじを詳細に書き記す無粋は遠慮する。備忘として。
「偶然の旅人」ゲイのピアノ調律師が出会った女性との物語。そして確執していた姉との邂逅。
「ハナレイ・ベイ」19歳のサーファーの息子を、ハワイで亡くした女性の物語。
「どこであれそれが見つかりそうな場所で」 ある女性の依頼で、高層マンションの階段で忽然と姿を消した女性の夫を、丹念に探す男の物語。
「日々移動する腎臓のかたちをした石」短編作家とある女性の物語。ある日、前触れもなく去っていった女性 。
品川猿」(書下ろし)自分の名前だけが、突然思い出せなくなる女性の物語。品川区の実施する「心の悩み相談室」で、明かされる驚くべき真相。

並べてみるとこれらの作品のなかで、書き下ろしの「品川猿」が他の4編と比べ、異質。タイトルもそうだが、名前を盗む猿の登場は「とても」現実離れをしていて、他の奇譚と比べ現実味が薄い。しかし、村上春樹が、村上春樹なのは、おそらく、この物語をもして、他の作品と比べ、それほど異質さを読者に感じさせないで読み終わらせることができること。確かに猿が登場してきたときは違和感を覚えたのだが、終わってみるとそれほど突飛な話だとは思わなかった。独自のリズムをもった、村上春樹の文体、文章。


村上春樹」に強い思い入れがなく、文章がうまくて好きな作家の一人と思えるなら、この作品も肩の力を抜き、気軽に読める一冊。個人的には、村上春樹はデビュー以来、読み続けてきた作家のひとり。物語の書き手として好きな作家。あくまでもドルフィン・ホテルのユミヨシさんがいいなとか、ナカタさんがいいなとか、そういう風に読みたい。小賢しく、難しく、考えないで、ただ楽しみたい。どうも「村上春樹は語らなければいけない」という風潮が強いのだけれど。


この作品も、手許においてぱらぱらと何気なく気軽に何度も読む一冊というのが一番ぴったりくるのかもしれない。