檸檬のころ

檸檬のころ

檸檬のころ

檸檬のころ」豊島ミホ(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、短編集、高校時代、青春

ネットの本読み人仲間chiekoaさんのレビューhttp://chiekoa.jugem.jp/?eid=260を見て、借りてみた。とても好感のもてる作品。


東京から乗り換え含め4時間半、東北地方のとある田舎町にある進学校、北高を舞台にした連作短編集。作品の登場人物が緩やかに、おだやかに連なる。とてもあたたかく、素朴な物語たち。作品として強い力は持たないが、好感の持てる佳作たち。若者の心の揺れ、痛みを温かい目で描く。
タンポポのわたげみたいだね」、「金子商店の夏」、「ルパンとレモン」、「ジュリエット・スター」、「ラブソング」、「担任稼業」、「雪の降る街、春に散る花」の7編から成る。
作品のタイトル「檸檬のころ」は、まさにこの素朴な田舎の高校生活、青春時代を象徴している。具体的には「ルパンとレモン」における秋元の使うリップクリームに象徴されるのであろう。男の子にとっては、ちょっと不思議な、女の子の背伸びした世界。しかし、最終話で彼女はこの田舎町を去り、東京へ向かう。そこにはレモンのリップクリームを卒業した彼女の生活があるのだろうか。


タンポポのわたげみたいだね」
入学した高校に初めて向かう電車で、橘はサトと知り合った。1年のころは輝いていたサトも、2年でクラス替えがあってからは目立たない子に。そして、いつの間にか保健室の常連になっていた。サトとの友情に悩む橘に、ある日男の子が声をかけてきた。つきあってほしい。そんな橘に、サトが久しぶりに同じ通学電車に乗り込んで・・。女の子の素敵な友情
「金子商店の夏」
司法試験の予備校のトイレで、仲間と思っていた若い奴らに「痛々しい」と評されているのを聞く俺。親のスネかじりのまま司法試験を5回落ち、そろそろ30にも手が届こうとする。嫁に行った妹からも、そろそろ大人になんなよと言われる始末。ある日、実家から、祖父があぶないと連絡が。あわててもどった俺の前には、いつものかくしゃくとした祖父の姿があった。がん検査で陽性が出たという。創業50年になる日用品店、金子商店。それが俺の家、祖父は俺についでほしいと思っている。近所の北高の生徒の溜まり場、そんな古びた店。
「ルパンとレモン」
中学時代からつきあっていた、俺と秋元。同じ北高に入ってからは、それぞれ、なんとなく別の生活。しかし、俺は秋元のことがまだ好きなんだ。そんな俺の気持ちも知らず、同じ野球部のエース富蔵は秋元にちょっかいを出す。そして秋元も富蔵に魅かれている。最後に秋元にもらったリップクリーム。俺はそれを握り締め、富蔵と秋元の仲を応援しようと決める。
「ジュリエット・スター」
うちは高校生専門の下宿をしている。総勢30人の下宿人。下宿内の男女交際は禁止。大切な親御さんから預っているのだから、絶対「間違い」があってはいけないのだ。それぞれの学校の校風もあるのか、今までそんな雰囲気は一切なかった。しかしここに問題児、水橋珠紀が登場。どうも、林くんとつきあっているらしい。24歳で、下宿を手伝い、本屋でバイトをする私がなんとかしなければいけないことに。高校生の恋。
「ラブソング」
音楽が大好き。いつか音楽ライターになりたいと思う女の子、白田が主人公。同じ高校で音楽話のできる人間を見つけた、辻田くん。そんなとき従姉妹の志摩ちゃんの文章が、音楽雑誌にのった。ショック。さらに淡い想いを持った辻田くんは自分を恋の相手としては見てくれない。そんな揺れ動く心で、辻田くんに頼まれた作詞をする白田。高校生の男女の淡い恋と友情。
「担任稼業」
北高の3年生を受け持つ数学教師、丹波が主人公。生徒のことを思った進路指導も、思い通じず、憎まれる。目下の一番の問題は、小嶋智(サト)。保健室の常連、授業欠席がたたり、卒業も危ぶまれる。面談をしても結果ははかばかしい結果は得られない。先生だって大変なんだよ。
「雪の降る街、春に散る花」
つきあっていた秋元加代子と佐々木富蔵。いよいよ別れのときが来る。東京の私大に進学する加代子。田舎に留まることを選んだ佐々木。いっときは、加代子と同じ東京に近い神奈川の国立大学を受けてくれた佐々木だが、不合格。後期試験で地元の大学を選ぶことになった。電車で4時間半の距離は、高校生である彼らにはとても遠い距離。揺れ動く心を抱え、東京へ出る日を迎える佳代子。


性への興味を持ったクラスメイトたちと、一線を画するように自分の世界を持つ主人公たち。とても好感を持って読んだ。


ただ唯一残念なことは、最近の小説の傾向か、この作品でもまさに旬の風俗が描かれてしまった。登場人物が「宮崎あおい」「掘北真希」という実在のタレントに似ているという描写。音楽の描写もあるが、この場合、現実のタレントの名をあげ、キャラクターに仮託させる罪のほうが大きい。現実のタレントをあげることで、読者に登場人物を簡単にイメージさせ、固定させてしまうことは、どうなのだろう。小説とは普遍的であるべき、と考えるぼくのような読み手にとってはどうしても残念なことのように思える。少なくともこの作品において、敢てこれらのタレントの名前を借りる必然はなかった。充分、少女をイメージし、楽しむことができた。少なくとも、ぼくにとっては。ゆえにそこが残念。


もしかしたらありふれた物語、作品かもしれない。故にオススメとまで言い切れないが、いい作品だと思う。