みどりの妖婆

snowkids992005-11-06


みどりの妖婆 (児童図書館・文学の部屋 闇の戦い 2)

みどりの妖婆 (児童図書館・文学の部屋 闇の戦い 2)

「みどりの妖婆-闇の戦い2-」スーザン・クーパー(1981)☆☆☆☆★
※[933]、海外、ファンタジー、ハイファンタジー、児童文学、光と闇、アーサー王伝説

光と闇の戦いを描く<闇の戦い>シリーズの二作目、外伝とも言える「コーンウォールの聖杯」の続篇とも言える。丁度一年前に「コーンウォールの聖杯」(2002学研より復刊)を図書館で見かけ読んでいたのだが、本作品を読む前にもう一度読んでおけばよかったなと、ちょっと悔やまれた。大筋は覚えていても、ディテールが抜けてる、あぁぁ、記憶力がぁぁあ。こうして備忘録代わりにblogに記録をつけるのも意味がある行為とつくづく。尤も、ディティールまで残してないから、やっぱり同じ?


本作品は、前作の「光の六つのしるしhttp://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/15261856.htmlで<古老>として目覚めたウィルと、「コーンウォールの聖杯」で活躍したふつうの少年少女である同年代のドルー家の三兄妹(弟)が、コーンウォルの地でメリマンを通じ出会い、それぞれに活躍し、闇との戦いに必要な大切なものを入手するという話。今回の主役は、光にも闇にも関わらない太古の海の女王ティーシスに捧げられる、みどりの妖婆と心を通わすドルー家の娘ジェーンだろう。誰もが自分のことしか考えない時代において、みどりの妖婆という、海の神への贈り物の孤独を感じ、幸せを願う気持ち、派手な活躍ではないとても地味な想いが、この孤独な存在の心を開かせた。そして大切な贈り物が贈られる。光のためにでも、みんなのためにでもなくジェーン「おまえに」、みどりの妖婆は贈るのだ。兄や、弟のことを心配する、ふつうの女の子であるジェーンが、とても大きな存在。主人公ウィル、メリマン、アーサー王伝説、ドルー家の兄弟と、男の子の活躍に目を奪われやすいが、実はこのシリーズでは女性、あるいは女神というもの重要な存在だとふと気づく。「光の六つのしるし」の館の<老婦人>、本作品の海の女王ティーシス、みどりの妖婆、そしてジェーン。


大英博物館に展示されていた「トリウィシックの聖杯」が盗まれるところから物語は始まる。その聖杯は、昨年の夏コーンウォールの洞窟で、ドルー家の三人の子どもの手によって発見された歴史的、学術的な価値のある推定年代六世紀の遺物。しかし、その真の価値は光と闇の戦いのなかで大きな意味を持つものであった。
聖杯を盗まれた大英博物館で、ドルー家の三人の子どもたちは、聖杯を巡る冒険をともにしたメリー大伯父さんと出会う。復活祭の休みにコーンウォールのトリウィシックに再度行き、闇の行おうとすることを阻止することを手伝ってほしいと頼まれる。
いっぽう前作で<古老>として目覚めたウィルの元に、父の兄で、長らくアメリカに住んでいるビル伯父が現われた。復活祭の休みに、ともにコーンウォールで過ごさないかと誘ってくれた。コーンウォールへ向かう旅は、ともに休暇を過ごすビル伯父の友人が車で迎えに来てくれると。果たして現われたのは、オクスフォード大学で、教鞭をとるメリマン・リオン。<古老>の再会。コーンウォールへ向かう車のなかで、<古老>の持つ精神感応術で語るウィルとメリマン。<闇>との戦いが再度始まるなかで、手を借りるドルー家の三兄妹に、自分の<古老>としての立場を隠して接しなければならない。「ものすごく嫌われることになりそうだな」とつぶやくウィル。「この緊急事態の前には、我らの気持ちなどは全く取るに足りん」応えるメリマン。
ペンハロー氏が所有する別荘で出会う、ウィルとドルー家の三兄弟。果たして、ウィルの正体を知らないサイモン、バーニーのドルー家の兄弟は自分たちの使命に、ウィルが足手まといになると懸念し冷たい態度をとる。ひとりジェーンのみが、そんなウィルの気持ちを思いばかるやさしさを持つ。
ときは、まさに大漁と豊作を願うこの港町の古い春の儀式、みどりの妖婆つくりの時期。ジェーンは、ペンハローおばさんに、このみどりの妖婆つくりに誘われる。一晩まるまるかけ、この土地の女性だけが集まって作るみどりの妖婆。それは、ハシバミやナナカマド、サンザシで作られた大きな木の葉の人形(ひとがた)、太古の海の女王に捧げる贄。この村では、願い事がある女性はこの像に手で触れることになっている。願いをかけるように言われたジェーンは、この像の耐え難く果てしない孤独を感じ、恐るべき畏怖の念と共に、一種の憐れみを感じた。そして、思わず自分のことでなく、みどりの妖婆の幸せを願う。像は海に投げ込まれた。
いっぽう、サイモンとバニーは<闇>の使い手につかまり利用されていた。奪われた聖杯に映る内容を、<闇>の使い手に語るバーニー。すんでのところで<闇>の呪術から逃れていたサイモンのおかげで、求めるべきものがまだ、この地にあり、みどりの妖婆の手許にあることを知るウィルと、メリマン。そのまま、ドルー家の子どもの目の前で岬から海に飛び込む。海の底で、世の初めよりこの波の王国を治める女王ティーシスに出会い、みどりの妖婆を説得する許可をもらう二人。光にも闇にも関わらない、自然の荒魔術の力をもつ太古の力。
光の<古老>たちは、この地で大切なものを入手することができるのだろうか。


ドルー家の兄弟のその年齢にあった少年らしい姿に対し、大人びた<古老>としてのウィルの姿が妙に痛々しく感じた。もし、<古老>に目覚めなければ、無邪気な年齢相応な少年としてドルー家の兄弟とも仲良く、楽しく過ごせたはず。だが、ウィルは使命を担った<古老>として、嫌われることを仕方のないこと思い、つっかるサイモンを大人の態度でかわす。メリマンの語る「我らの気持ちなど全く取るに足りん」という言葉に象徴される、偉大な使命の前には、些細な犠牲はしかたのないというシリーズを通した一貫した姿勢が、潔くも哀しい。
しかし、本作品では無慈悲な冷徹な光の論理でなく、ジェーンのやさしさが結局は大いなる使命を果たすために役立つということが、ちょっと皮肉。飴と鞭はうまく使い分けろ・・かな。


さて、続くは「灰色の王」またもや、魅力的な登場人物ブラァンの登場。早めに再読したいものだ。