月読

月読(つくよみ) (本格ミステリ・マスターズ)

月読(つくよみ) (本格ミステリ・マスターズ)

「月読」太田忠司(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、本格、SF、ファンタジー


ある条件以外では、人が死ぬとき、その遺志が月導(つきしるべ)として残る世界。それは形あるもの、例えば石、ガラス製の茸、或いは形なき人を身体の芯から冷えせしめる場、形態は様々。月読(つくよみ)は月導から故人の最期の遺志を読み取る能力を持つ者。尤も、遺された遺志はたとえば「空が青い」とか「猫が無事に子供を産めたかどうか」など、とくに重要な意味のないものであることも多い。
この物語は、そんな月導と月読がいる世界。それだけが、我々の今いる世界と違う。


以前は漁で栄えていたが現在は漁獲量も少なくなり、数年後はその漁港すら消えてなくなるだろうと言われる、東京にほど近い地方都市、結浜市。高校生の絹来克己は、母校の名を全国に知らしめた実績があり、各地の大学からも推薦入学の誘いが来ている。克己の進路について、父と母の間で意見が分かれていた。父は自分が入れなかった東京の有名大学への進学を、母は自宅からの進学をそれぞれ望んでいた。よい”息子”、それが両親にとっての自分の価値なのだろうか。
マンションの一室で一人、殺人事件を調べる刑事河合寿充。刑事というより学究の徒といった風貌を持つ彼は、出世にも、組織にも頓着しない一匹狼の変わり者。この部屋は、彼の従姉妹片山友香子が殺害された部屋。赤ん坊のころから知っている年の離れた従姉妹は、専門学校に通うため河合を頼って、この街で下宿をしていた。警察では、この街で起こっている一連の婦女連続暴行事件のひとつと考えていた。被害者が親族であることより、捜査から外された河合。しかし、自分の手で犯人を捕まえたい。ひとり捜査を続ける河合。友香子の部屋の隣人、朔夜一心は月読の能力を持つ者であった。友香子の部屋のドアに浮かぶ月導を読み、その内容を河合に伝える。
香坂炯子、岬の先にあるお屋敷の娘。日展に入賞した新鋭画家の正田繁や、元は香坂家の使用人の息子で、現在は自分で興した会社の社長椎名雅夫といった大人の男の関心を集める、克己と同じ高校に通う蠱惑的な娘。克己、炯子と同じ高校、克己の友人の日暮也寸志、柔道で県内に名をはせるそんな彼も炯子に思いを寄せる。
河合の捜査と、高校生たちの物語、そして月読である朔夜の物語が絡み、交わり、物語は進む。友香子を殺害した犯人の正体は、克己と炯子の物語と真実、そして朔夜の謎。


「月読」という設定が秀逸。「ほんとうのように嘘を言い」さりげなくあたかも本当のように月読、月導を語る作家の巧さ。SFというべきか、別世界を構築したという点でファンタジーというべきか、ミステリーとそれをうまく融合させた物語。
片山という刑事の追う殺人事件と、克己、炯子というふたりのごくプライベートな共通の事象をキーとした物語が並行して進み、そして交じり合う。終盤までの物語の進行はとてもうまく、読者として引きずられるように読んだ。そして二つの場所、ふたりの登場人物をカットバックの手法で畳み掛けるように描く、衝撃のラスト。
・・・・なのだがどこか物足りない。結局いわゆる本格ミステリーの定型にはまって終わった。せっかく魅力的な「月読」という設定が活かされていない。雰囲気を醸し出しただけで終わってしまった。残念。


月読の能力は決して万能ではないし、月導に遺された遺志も明確なものではない。それなのに、その能力に魅かれてしまうのは何故だろう。


月読はその能力が発現されると、家族から離され、宿父(すくふ)と云う養父に育てられる慣わし。本書に登場の月読のひとり、朔夜一心も子供の頃にそうした経歴を持つ。しかし彼が他の月読と少し違うのは、20年前に宿父となんらかの理由で離れ、たった一人で彷徨い、その頃の記憶を失っていたという事実。20年前の彼に何があったのか。


読者としてのぼくらがこの作品に期待するのは、片山と云う刑事の追う殺人事件と、克己・炯子の物語がどのように絡んでいくのか、そして最も期待するのが月読である朔夜一心の物語。しかし、一心のそれはあまりにも本格ミステリーの予定調和の中に収まってしまった。
まとまっている。いや、まとまってはいるが尻すぼみ。安易にまとめすぎた。衝撃のラストも(実はそれほど衝撃でもないのだが)同様。どんでん返しはない。あっけないほどに正統。本格ミステリーにありがちなオチといったところか。


炯子の養母、美貌の、涼花。違法な養子縁組で子供を手放した実の母の登場。兄を、そして伯父を愛する近親相姦的な状況。高校生の若さ溢れる青春の想い。そして絵画の贋作事件。事件とエピソードはてんこ盛り。確かに、作品にひきこまれ、すらすらとおもしろく読めた。しかし、この作品も様々な魅力ある設定を活かしきれてはいない。勿体ない。


もっと、深く。読者はまたもや勝手なことを言う。


蛇足:しかし月読に、遺された月導を読んでもらう費用、読代(よみしろ)がきちんとした依頼による報酬ならば最低でも50万円という決まり。一瞬、納得しかけたが、必ずしも結果が伴うとは言えない月導を読んでもらうことに払う金額ではないよなぁ。