賢者はベンチで思索する

賢者はベンチで思索する

賢者はベンチで思索する

「賢者はベンチで思索する」近藤史恵(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、ミステリー、小説、連作、中編、短編、日常の謎


いわゆる「日常の謎」を取り扱った、ミステリー連作集三編。中編というか、短編というべきか、各話、微妙な長さ。
「ファミレスの老人は公園で賢者になる」「ありがたくない神様」「その人の背負ったもの」の三章からなる。


「ファミレスの老人は公園で賢者になる」
七瀬久里子、21歳。服飾関係の専門学校を卒業するも、希望のデザイナーの職に就くことは叶わず。同級生のように、あきらめて他の職に就くこともふんぎりがつかず、家の近所のファミリーレストランでバイトをして過ごす日々。いわゆるフリーター。結局は店のいいように使われる便利屋。今日はいいけど、明日は?時折、浮かぶ先行きへの不安。両親と、少しひきこもり気味の二浪の弟の四人暮らし。
ある日バイトの帰り道、公園で一人の老人と出会った。えんじ色のよれよれのポロシャツを着た70過ぎの老人。久里子のバイト先のファミリーレストランの常連。空いている時間を見計らったように訪れ、日付の古い新聞を読みながら、コーヒー一杯で2〜3時間を過ごす。そんな老人と二言、三言言葉を交わすうちに、心がすうっと心地よくなる久里子。
しかし翌日、店に現れた老人は、公園での出来事などなかったような態度であった。老人の近所に住むバイト仲間によれば、彼は国枝という名前で、少し惚けているという噂も。
一方、ひょんなきっかけで、家で犬を飼うようになった久里子は、愛犬アンの散歩途中にコンクリートブロックで殺された犬の死体を発見した。そして、愛犬アンも何者かによって毒物が仕掛けられた食べ物を口にしたらしく、瀕死の目に。そんな犬殺しの事件が流行っているらしい。
最近、何を考えているのかよくわからなくなったひきこもり気味の弟は、早朝こっそり頻繁に外出している。もしかして。疑心暗鬼になる久里子。犬殺しの犯人を見つけるために、国枝のとった策は?犯人は、そして弟、信は?


「ありがたくない神様」
最近、久里子は気になる人物ができた。新しくバイトにはいった弓田くん。調理学校に通い、調理のほうでバイトをする彼のことが気になって仕方ない。しかし、なかなか、言葉を交わすきっかけが作れない。
そんな、久里子の働くファミリーレストランで、事件が起こる。食事をしたお客様が、料理の味が少しおかしいと言う。だれも異物を混ぜることができないはずなのに。数日後、二番目の被害者が、。子供がテーブルで嘔吐をする事態まで発展。両方の料理とも弓田くんが作ったもの、落ち込む弓田くん。でも、どうして異物を混入させることができたのか。誰かの恨みなのか。
数日後、店の通用口に貼り紙が、「衿を正せ、自分に恥ずかしくない仕事をしろ」。脅迫状なのか。
国枝さんの推理によって、久里子は犯人の正体をつきとめる。彼はたぶん、二度と同じことはしないだろう。
後味のちょっと悪い終わり方。そんな日常も確かにあるのだけれど・・。


「その人の背負ったもの」
弓田くんと、とあるきっかけで二人で映画にでかけることに成功した久里子。さんざん悩んだ末、やっぱりTシャツとジーンズに落ち着いてしまう。映画はあまり好きなジャンルでなかったが、弓田くんとデートできて、とても嬉しい久里子。音楽の趣味も一緒だった。ほんのささいなこと。でもとてもしあわせな気分の久里子。
そんな久里子が勤めるファミリーレストランに刑事がやってきた。レストラン近くに住む、小学生の男の子が誘拐されたという。バイト仲間の話によれば、国枝さんと誘拐された男の子が二人で歩いている姿を見た人がいるらしい。そして、国枝さんは行方不明。国枝さんが犯人?
物語が進むにつれ、国枝さんの正体が判明。誘拐の理由は。犯人は国枝さんなのか。


北村薫加納朋子といった作家が得意とする、この「日常の謎」ミステリー。読みやすく、また温かい作品が多いのだが、どうしても題材のせいか小品、佳作といった評価にならざるを得ないのは仕方がないことだろう。
さて、この作品も日常に起こる、ささいな小さな事件を中心に、家族や、バイト仲間、淡い想いを交え、少しだけ未来に不安を持つ若い女性の姿を描く。成長とまではいかないかもしれない、しかし、国枝という一人の老人と出会うことで、少しずつ前向きに生きていこうとする姿勢。ネットの本読み仲間、とくに女性の方の評判がよいのは、とても理解ができる。素直で温かな作品。
ただ、もう少し、もう少し、深く書いて欲しい。個人的にはそう思う。またもや読者は勝手だ。


最終話(三章)は見事。ほろ苦さを残しつつ、姿を消す”国枝”老人の姿。ひろすけ童話の「泣いた赤鬼」の青鬼を彷彿させて、ちょっともの悲しい気分が残る。