キップをなくして

キップをなくして

キップをなくして

「キップをなくして」池澤夏樹(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、少年、鉄道、夏、ファンタジー


ごめん。正直に言って、この作品のよさがぼくにはわからない。
ネットの感想を見ると概ね好評のよう。でも、ぼくには完成度の低いファンタジーもどきにしか思えない。
正直な感想、ハートウォーミングの衣をまとった、中途半端な作品。
そういう意味でほかの方の意見や感想を知りたい。反論して欲しい、ぜひ。


小学生の少年遠山至(イタル)は恵比寿から、切手を買いに有楽町の切手店に向かった。自分の生まれた年、昭和51年に発行された切手を全部集めるために。今日でコレクションは完成、逸る気持ちで改札を出ようとしたところキップがないことに気づいた。おかしい、たしかにあったはずなのに。
イタルに一人の少女が声をかけてきた。「キップなくしたんでしょ」「キップをなくしたら駅から出られないよ」。イタルより少し年上の少女に連れられて、電車に乗り、東京駅の通路を幾つも通り抜け辿り着いた部屋。そこはイタルと同じように、キップをなくした子どもたちが集まり暮らす部屋だった。イタルに声をかけた少女フタバコ、年長のキミタケさん、ユータ、ロック、ポック、泉、緑、馨、そして皆とちょっと雰囲気の違った小さな女の子ミンちゃん。ここで暮らす子どもは、キップをなくし駅から出られなくなった子どもたち。ラッチ(改札)の向こうには行けないが、駅の中なら、食堂も、キオスクも無料で利用できる。服も、遺失物から選べる。一生いるのではない、いつかは、帰れるらしい。それはいつだかわからない。駅の子のひとりとして、イタルの生活が始まる。
駅の子の仕事は、電車通学の生徒を護ること。通勤ラッシュにもまれる、子どもたちが安全に通学できるように各駅に行って手伝いをする。場合によっては、時間を止めることさえできる。
駅の子として過ごすイタルは、ミンちゃんが気になって仕方ない。みんなと違い、食事もしないミンちゃん。
実はミンちゃんは、ほかの子と違い、電車の事故で死んだ子どもだった。まだ天国に行きたくない。そんなミンちゃんを駅の子にしたのは、ミンちゃんしか会ったことのない特別な駅長さん。駅の子には彼の声だけが聞こえる。
そんなミンちゃんが、いよいよ天国へ行く決意を固めた。ミンちゃんを送るために、北海道のはずれまで駅の子みんなが旅行をすることになった・・。


いろいろな意味で不親切な作品。
昭和51年(1976)生まれの小学校高学年らしい主人公、ということは昭和60年くらい、ちょうど今から20年くらい前が舞台のはず。しかし敢て、いま(平成17年2005年)、この20年前を舞台に作品を書いた理由がわからない。最後主人公が少年時代を振り返るパターンかと思ったが、そうでもなかった。ちょっと前の時代、郷愁の雰囲気が欲しかったのか?確かに、作品後半の北海道旅行で青函連絡船を描こうとするなら、その時代に遡らなければならない。しかし、青函連絡船に拘る必然もぼくにはあまり感じられなかった。
「駅の子」の設定、謎も明確にされていない。ミンちゃんを除く駅の子は何らかの理由があって選ばれ、駅の子になり、そして何らかの理由で家に帰る時期が来る。また、夏休みや、冬休みといった時期も家に戻っていく。作品では、「何らかの理由がある」ことは語られているのだが、その「理由」が明確にされない。消化不良。それぞれの子の家庭の問題か、あるいは、実はみんなミンちゃんと同じ理由か(だとするとスゴイ作品)と思っていたのだが、違った。ホームで通学の子どもを護る仕事をするために選ばれたのでもなさそう。とくに定期をなくして駅の子になったタカギタカオミ、自ら駅の子になったフクシマケン、彼らをもしてみなと同じ駅の子に選ばれた理由は何なんだ?
駅の子の制限は駅から外に出ることができないこと。無理やり駅から出ようとすると、生涯二度と鉄道に乗れなくなる。イタルはそう脅されたはず。その制限さえ、「特別」にと皆で北海道に旅行に出ることでハズされる。これは前提条件の崩壊でしょ。
そうした設定のひとつひとつのささいな疑問、齟齬が、ぼくには気になるささくれのように感じられ、作品世界にはいっていけなかった。


一般論として、一冊の作品ですべての謎が納得ずくで明確にされなければ作品が成立しないとは思っていない。敢て、謎を残すことが作品を成功させる場合もある。しかしこの作品では、もう少し謎をきちんと整理するべき。


個人的に、ファンタジーという分野の作品は枠組み、構造が肝要と思っている。故に、ファンタジーで書くなら、是非その部分を成功させて欲しい。そこが巧く構築できないと魔法が溶けてしまう。興ざめ。この作品が、こうしたファンタジーの形式をとらなければ、ぼくにももう少し楽しみながら読めた作品になっていたのかもしれない。これは読み手の資質の問題か。
この作品の書きたいことが、ある少女の自分の死の認識、そしてその傍で少年少女たちが成長すること、といった褒められた内容であっても、作品自体の成立と成功は別なもの。個人的には、もう少ししっかり書くべきだと思う。故にぼくはこの作品を評価できない。


蛇足:すっぱり斬ってしまったが、しかし、なんか、ちょっと悪人になったような後ろめたさがあるのは何故なんだろう。小心者だなぁ(苦笑)。