花のようなひと

花のようなひと

花のようなひと

「花のような人」佐藤正午(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、短編、挿画、花、牛尾篤


佐藤正午というのは、ちょっと癖のある作家。ユーモアとシニカル。会社の先輩が紹介してくれた作家。実は、未だ確たるイメージを自分の中に作ることができない作家の一人。図書館の、新刊リストに並んでいたので予約してみた。


おどろいた。いわゆる佐藤正午の小説を期待したら、外された。ごく短い話、まさしく掌編と挿画の組み合わせからなる、28編。一篇がおそらく原稿用紙3枚程度、「花」と「女性」をテーマにした作品。「私」で語られる作品の、全てが女性ではないのだとうが、おそらく「女性」もテーマであろう。
詩画集のような作りだが、もともとは佐藤正午の文は、雑誌に発表されたもの。今回の発刊に当たり新たに牛尾篤の挿画を加えたとのこと。故に、佐藤正午の作品。各編に牛尾のカラーのエッチングと、小さいモノクロのペン画がひとつ。


図書館に置く本ではない。手元に置いておく本だ。そういう違和感を、読んでいてずっと感じた。これは、借りる本ではない、きっと。


28編それぞれが、それぞれに独立している。ぼくの好きな漫画家に森雅之という作家がいる。その人の作品に似た感じ。何気ない、日常の風景を何気なく、優しく切り取って描いた作品。日常の風景が故の余韻。


残念なのは、共通のテーマは花であるが、全体を通して同じクオリティーではない。最初の数編ではスイートピー、バラ、紫陽花、ニゲラ、トルコ桔梗と具体的な花をモチーフにした作品であり、この作品はひとつひとつ、具体的な花の種類をテーマにしたものかと思っていたら、突然、白い花、ピンクの一輪の花という「花」全般に置きかわる。その統一されていない書き方が、少し、残念。もの足りなく思えた。あとの作品を読むと、作家の「狙い」なのかもしれないとも思えるのだが、個人的には残念。


高校あるいは中学の朝の朝礼の時間。担任の先生が文化祭の出し物さえ、未だ決められずにいるクラスの生徒に語る「ホームルーム」がいい。校舎の玄関に活けてある、曲がった茎の花に生徒たちをなぞらえ、協調性がないことも、あなたがたの現在の価値ですと呼びかける。いつか、みな同じほうを向き、同じ表情になる。良くも悪くも、いまのあなたがたの今の姿を忘れないでほしい。
あるいは「母と娘」。散歩の途中、幼稚園の近くを通りかかった若い母親と娘の姿。微笑みを目もとに浮かべ、歩く若い女性の後ろを、そのひとの二十年前のような女の子が晴れやかな笑顔でついてくる。女の子が前方に手を差し出すのと同時に、はかったように若い母親は腰の後ろへ片手をのばし、ふたりの手はつながる。見守る私も、思わず微笑みが浮かぶ。


さっと読み流してしまえば、1時間もかけずに読めてしまう作品。これは借りるのでなく、ぜひ買って、ゆっくり、ゆっくり味わってほしい作品。そう思えた。