いかさま師

いかさま師  『このミス』大賞シリーズ

いかさま師 『このミス』大賞シリーズ


「いかさま師」柳原慧(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、絵画、贋作、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、「このミス」大賞


第2回「このミス」大賞を「パーフェクト・プラン」で受賞した作家、柳原慧の受賞後の二作目。実は、大賞受賞作をまだ読んでない。読みたいとは思っているがなかなか機会が訪れない。とりあえず、先に入手できた本作を読んだ。


体調が悪いときに読んだせいか、はたまた作品自体の問題か、どうにもノリにくい作品だった。読了して今一度、自分で系図を書き直して、人間関係とそれぞれの凡その年齢がつかめて、初めてなんとなく作品が読めたと感じた。登場人物の年齢がわかりくい。このことが、作品を混乱させた。
主人公の高林紗貴、7年前に7歳年下の23歳の内田優と出会った、とあるので現在37歳。紗貴に絡む、鷲沢鋭士とその母摩里の年齢が読んでいる間つかめなかった。摩里は紗貴より幾歳か若い設定。その摩里が生んだ息子、鋭士が紗貴にほのかな想いを寄せる。ここが混乱のポイント。37歳の紗貴より少し若い母親だから、鋭士は二十歳は行くまい。なのに職業はヒモ。はぁ、そういう設定。鋭士が紗貴に想いを寄せたりするから、なんだか訳がわからなくなった。20歳近く年上の女性に好意をねぇ。いや、そういうことないとはいわないが。


編集プロダクションに勤める7歳年下の恋人内田優と同棲する、グラフィック・デザイナー高林紗貴。母親ナオが入院。その母に、昔の写真でも持っていってあげようと写真の整理をしていたところ、母宛に送られたある男性からの手紙が出てきた。鷲沢絖と書かれた手紙は、鷲沢絖という男が描いた全ての絵を高林ナオと、鷲沢絖とナオの子供である高林紗貴に贈ると描かれた遺言であった。証人として、紗貴も知っている子供時代に過ごした街の人の署名もあった。
なに、これ?母は籍こそ入れてもらっていないが、紗貴の父親は岡田敬一だ。母より七歳年下のこの男、母と一緒に不動産屋を始め羽振りのいい時期もあったが、資金繰りに失敗、倒産。幼かった紗貴たち母子を置いてどこかへ雲がくれしてしまった。紗貴がこの男の娘であるのは、残念ながら彼そっくりの顔が遺伝子の証明。
鷲沢絖は、30年前に自殺したフォービズムの画家であった。その父親は明治期に活躍した高名な文学者、日本の怪異譚を題材にした小説でアメリカでも評価の高い鷲沢絵林。漂白の人生で知られる絵林はアイルランド人であったが、幾つかの国を転々とし、日本へ新聞記者の特派員として訪れた際、この風土に惹かれ終の住み処と定めた。そんな父を持つ鷲沢絖であったが、画家としては決して幸せな最期ではなかった。同業者からの絶賛はあったものの絵は売れなかった。絵具を盛り上げるような手法と完璧主義者であることより、売れる絵以上の絵具代がかかってしまう。貧窮に加え、さらに病気。そうした彼が最期に選んだのは、自らの顔に傷をつけ、そして自殺。それはあたかも、自らの耳を削ぎ落としたゴッホのよう。紗貴の恋人、優がネットで調べた情報。
手紙の住所から104で尋ねた鷲沢絖の家に紗貴が電話してみると、出たのは区役所の人間。鷲沢絖の未亡人であるミネが亡くなり、丁度鷲沢の係累を探しているところだという。鷲沢の家を訪ねてみると、そこは近所でも評判のゴミ屋敷。亡くなったミネはゴミを収集する奇癖をもっていた。丁度トラック数台でゴミを運んだところ。ミネはゴミに埋もれて死んでいたとのこと。
区役所の人間に案内されるまま屋敷に入る、紗貴。そこで、記憶に蘇る光景。
残された鷲沢の絵は200枚ほど、一枚10万円としても2,000万円になる、皮算用をする恋人の優。値段がつくかもわからない。この作家をお金ではなく、世に出したい。決意を固める紗貴。
ふと、子どものころ、鷲沢の屋敷でジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵があったことを思い出す紗貴。ろうそくの画家と呼ばれるその作家、日本ではあまり馴染みのない作家だが、その絵には、今や億の価格がつく。
もしかしたら、絵林が日本に持ち込んで絖が所蔵していたのでは・・。
紗貴の父親岡田敬一の愛人であったが、紗貴の母ナオと仲の悪くなかった榎本光子。その光子に対して書かれたナオの遺言状の存在が明らかになる。光子の息子で猟奇ロリコン作家の夏木ヒカルの登場。ヒカルの出生の秘密。そして鷲沢絖の養女摩里、その出生の秘密。摩里の息子、鋭士。鷲沢絖を巡る様々な人々が登場し、鷲沢絖の絵、あるいは所蔵していた絵を巡り、事件が起きる。最後に笑うの誰か?


エピソードてんこ盛りの割に消化し切れていないという印象。
ラフカディオ・ハーン、あるいは小泉八雲を彷彿させる鷲沢絖の父、絵林、彼のプロフィールはこの作品に必要だったのか。紗貴を追いつめ、その母ナオを殺害せしめんとする犯人のプロフィールも同様。読者としてはもっと掘り下げてほしかったのだが、これで終わりなら必要ない。その犯人がナオを追跡するのに利用したソーシャルネットワークについても、もっと突っ込んで欲しかった。ソーシャルネットワーク、近年現われたネットサービス。開かれたインターネットの世界で紹介を介した参加という形態。参加したいという自分の意識のみで参加できない、いわゆるクローズドの世界。それが故に参加者は安心さをもって参加しているが、実は何十万人という参加者と、匿名を許された世界は、もはや開かれた世界と同等である。参加者の意識と裏腹に個人情報の流出という危険を、最近持ち合わせきている、くらいの解説は欲しいところ。
また、日本ではそれほど有名でないと思われる画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールにスポットを当ててみたのはいいが、これも消化不足。とにかく、それぞれのエピソードはとても興味深く、美味しそうなのに、活かしきれていないという印象が強い。美味しいところどりのはずが、逆に素材の力に負けてしまった感。
また、作品の形式を表と裏の二章だてとしたが、表と裏の分量もアンバランス。全体の三分の二が「表」はいかがなものか。「裏」の章も、「いかさま師」という題名とあいまって、どんでん返しを期待していたのだが、ただの解決編で終わってしまった。敢て章題に拘る必要が感じられない。
作中で語られた「人間には表もあれば、裏もある」が、まさかこの作品の主題とは思わないが、題名「いかさま師」に期待した内容は得られなかった。期待をハズすこと、それが作家の狙いだったなんてこともないだろうし、仮にそうだとしてもハズしたなりの内容もなかった。


題材選びはよかった。あとは料理法をもう少し学ぶことが課題か。プロのコックほど、素材を捨てるところが少なく、とことん素材を活かすと言う。ぜひ、次作では素材をもっと絞り、しゃぶりつくし、活かして欲しい。


蛇足:自分の家族をのことを恋人紗貴にひたすら隠している、紗貴に依存する内田優という存在も謎だ。この男、もしかしてだめんず