写楽・考〜蓮杖那智フィールドファイルⅢ〜

写楽・考〜蓮杖那智フィールドファイルⅢ〜」北森鴻(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、民俗学写楽


写楽」謎の多い浮世絵画家。謎の多さゆえに彼をモチーフとして「写楽暗殺」今江祥智、「写楽殺人事件高橋克彦などの小説が書かれている。そしてそれらを心ワクワクして読んだ。今回、図書館の新刊リストに「写楽」の文字を見た瞬間、予約。やっと手に入れ、読んだ。


主人公、蓮杖那智。東敬大学に籍を置く美貌の民俗学者。誰にも頼らず、媚びず、一人凛として立つ世界を確固として持つ。それがゆえ大胆な仮説も躊躇なく語り、異端の民俗学者と呼ばれる。そんな彼女が実地調査に赴くと、訪問先で事件が起こり、巻き込まれる。事件を呼ぶ女。そして明晰な頭脳でその謎を鮮やかに解く。二本のステンレスの水筒にタンカレーのジンとノイリープラットのドライベルモットを詰め、マティーニオン・ザ・ロックを愛す、クールな女性。本書も、助手である内藤三國、そして同じく助手である佐江由美、そして教務部の狐目の男といった面々と、フィールドワークに赴き、そして事件に巻き込まれるのであった。


本書はサブタイトルに「蓮杖那智フィールドファイルⅢ」とあるように、シリーズ三冊目。シリーズ物であるが、この一冊で充分楽しめた。勿論、きっとⅠから読むほうがいい。しかし、シリーズ物であっても単独の作品として読ませる力を持つ書物こそ、本当に力のある作品だと思う。そういう一冊。


北森鴻という名前、ミステリーという世界において何度も目にしていた。しかし、読むのは今回が初めて。読んでいて。確立された世界を持つ作家と感じた。つまり、いい意味で唯一無二なる北森鴻。不親切、読者を突き放した感がある。しかしこれについていける人、あるいはついていきたいと思う人には堪らない。民俗学をモチーフに、ともすれば荒唐無稽な仮説を、きちんとした根拠をもとに紐解く。見事、鮮やか。しかし根拠とする古文書(古事記日本書紀)の読み下し文もなければ、わかりやすい解説もない。抑えた筆致による文体も素っ気ない。その素っ気なさが、物語の主人公の性格もあいまって、奇特な読者は妙に引きつけられる。読む者を選ぶ作家。万人にニコニコと笑顔を振りまく作家とは違う。潔さに、好ましさを感じた。


「憑代忌(よりしろき)」「湖底祀(みなそこのまつり)」「棄神祭(きじんさい)」の短編三作と、表題ともなった中篇「写楽・考(しゃらく・こう)」の計4作から成る


「憑代忌(よりしろき)」
東敬大学のキャンパスにはひとつの言い伝えがあった。キャンパスの東端に建つ木造校舎、零号教場、通称白明館の前で写真を撮ると、必ず重要な単位を落とすという。このような言い伝えはどこの大学にもひとつやふたつ必ずある。その伝承に変容が現われた。零号教場の前で撮った、蓮杖那智の助手である内藤三國の写真を身につけていると、採点の厳しい蓮杖那智に提出する卒業論文で落第点をつけられることがない。
明かされる、言い伝えの驚くべき真相。
那智の命によって、火村地区の火村家の「御守り様」という古い人形の調査に赴く、内藤と佐江。そして、そこで巻き込まれる殺人事件。果たして犯人は、そしてその動機は・・。


「湖底祀(みなそこのまつり)」
F県火原郡栄村の南西部にある円(つぶら)湖湖底に、江戸次代中期の神社跡が存在する可能性があることが、判明した。
二晩に渡る徹夜作業で学生たちの期末レポートの下読みを終え、惰眠を貪る内藤に、教務部主任の狐目の担当者が那智からの伝言を伝えにきた。「十五時間以上もメールが不通になるようでは、留守役を置いている意味がない」。デスクのコンピュータを見ると、メールの受信を知らせるインジケーター。メールはすべて那智から。あわてて那智の指示通りF県火原郡栄村に向かう内藤。その栄村では同じく那智に呼び出された、北陸でフィールドワークを行なっていた佐江由美子の姿。そして「ミ・ク・ニ」と呼ぶ、那智
円湖で見つかる鳥居。鳥居の謎、そして新たな事件・・。


「棄神祭(きじんさい)」
年度経費の割り当てを大幅に超えてのフィールドワーク(民俗学調査経費)の申請書。内藤三國の携えた書類に、ひとしきり毒づく教務部の狐目担当者。内藤のスケープゴートという言葉と調査書に書かれた九州S県の御厨家という名にうなり声をあげ、塑像と化した。かっては民俗学界の重鎮と呼ばれる人物に師事し、研究に勤しんでいた狐目、民俗学の研究者であったことは那智から聞き及んでいた。狐目と那智はその頃からのつきあい。狐目に駅前の古色蒼然とした居酒屋に誘われる内藤。そこで聞かされたのは、狐目と那智修士課程のころの御厨家との因縁。
殺害されることに意味を持つ神々。江戸中期まで遡る、広大な庭園に築かれた塚の上で、家護の神像を三年に一度燃やす、奇妙な祭祀を持つ御厨家。その家に伝わる変容された数え歌。いまひとたびフィールドワークの一環で因縁の御厨家を訪れ、20年前の殺人事件の謎を解く那智。そして祭祀の謎が明かされる。


写楽・考」
「何者だ、式直男とは」何度目かを読み終えた最新の学会誌を放り出し、主なき研究室で内藤三國は何度も同じ言葉をつぶやき、やるせないため息をつく。内藤に渡され、論文を読む佐江。彼女の表情に浮かぶのは、驚愕、嫉妬、困惑、呆然そうした感情が綯い交ぜとなった混沌。
「仮想民俗学序説」学会誌に発表されたその論文は、従来の民俗学の研究手法から大きく外れた大胆なアプローチ。民俗学は答えのない学問。研究者の数だけアプローチが存在し、説は議論されるが、明確な着地点はない。しかし、それは残された事象について、民話・伝承・神話・古文書・祭祀・習俗など、あらゆる事象から過去へその根元へ向かい旅する学問のはず。しかし、この論ではそのアプローチ手法をまったく変え、残された事象を根元とし、仮想の手法と論理的思考を用いてまったく新しい進化の道筋を立てることが可能でないかと説く。
民俗学が学問足りえているひとつの要素にホワット・イフが存在しないことがあげられる。しかし、この説ではそのホワット・イフをも考察すべきだという。大胆というより、学会への反乱。
この論者、式直男とは何ものか?素人の論文を簡単に取り上げることのない保守的ともいえる学会誌に、その説を掲載させざるを得ない実力と、反骨の精神を持つ男とは?
四国にフィールドワークに出ていた那智より、内藤と由美子に那智からの召集がかかった。論文に書かれた、式家の文書の実物を見るために。訪れた式家で待ち受けていたのは当主の式直道の失踪事件。またもや事件に巻き込まれる那智
狐目の男の正体が明かされ、北森の書くもうひとつのシリーズ「冬狐堂シリーズ」の主人公、店舗を持たない古物商、旗師宇佐美陶子も現われ、物語は進む。当主失踪の謎は、そして、「仮想民俗学序説」の辿り着く先は・・。
お見事。


民俗学の大胆な仮説が説かれ、それ読むことがとても楽しい作品。しかし、そこに殺人事件を絡める必要があったのかどうかは、疑問。勿論、民俗学の仮説のみを述べることでは小説として成り立たないのはわかる。しかし作品のなかで起こる殺人事件は、フィールドワーク先での仮説に沿っているように見えて、実は全然関係ない。浅はかな理由ばかり。そのギャップが気になる。ネットのどこかで誰かが言っていた、あたかも二時間ドラマのようという説、至極同意。とりあえず殺人事件、そんな感じ。せっかく魅力的な仮説を展開しているのに、勿体無い。
尤もフィールドワークに行く先々での仮説と、そこで起こる殺人事件がすべて関連付けられてもご都合主義となってしまうことは否めない。難しい。


さて、問題の「写楽」。いや、やられた。あまりにも大胆で見事な仮説。本編はもともと「黒絵師」という題名で発表されたものを改題したとのこと。どちらのタイトルが正解なのか。「写楽」に興味のある人は、とりあえず一読に値する作品。
先に述べた通り、個人的には、民俗学というテーマと殺人事件のギャップが気になるため、高い評価を与えることはしない。しかし、久々にミステリーらしいミステリーを楽しませてもらった。


蛇足:このレビューひとつに3時間以上かかっててしまった。ぼくもアプローチの手法を考える必要があるなぁ(苦笑)。
蛇足2:このレビューでは民俗学をテーマにした作品が好きということを書ききれなかったが、実は好きです。井沢元彦のデビュー作「猿丸幻視行」や「義経はここにいる」なんて、とてもオススメ。