大きな熊が来る前に、おやすみ

「大きな熊が来る前におやすみ」島本理生(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、DV、家族
 新潮2006年1月号掲載

!ネタばれあり!未読者は注意願います。


ちょっと反則。今日、図書館で調べ物をしていた。途中、煮詰まって、逃避行動。雑誌コーナーで「新潮」を見かけ、手にとってみると島本理生の名前(本当は舞城王太郎もあった。でも無視)。雑誌掲載を論評しだすとキリがないので、普段はやめてるのだが、今とても気になる作家島本理生だから、許せ。「ナラタージュ」もまだ遠いし。


正直、困惑。どうしたら、いいんだろう。もし、島本理生の行く方向が、僕が島本理生に望む方向と違った方へ進み、それがやはり僕のどうしてもダメな方向なら、僕は、もう島本理生を読めなくなる。そう思った。
ぼくは、島本理生に徒に性に走って欲しくない、そして、素直にまっすぐに伸びて欲しい。いまどきでない方へ、そう希う。でも、島本理生は、またもやとんでもないほうへ進んでしまった。DV。うむむ。


勿論、島本の描くラストは、それを乗り越える明日を描く。明日を目指そうとする二人を描く。でも・・。
よく言えばそれは希望、しかし悪く言えば、この主人公の二人が本当にそれを乗り越えられる確証が得られなかった。キレイゴトで終わらせた?


つきあって半年、ほぼ同じ時間を同棲する珠美と徹平。ときに結婚の話さえ出るほど馴染む二人。そんな、二人の生活だが、夜寝るとき、珠美は必ず徹平と手をつなぎ寝る。子供の頃から眠りが浅く、毎夜、今夜はぐっすり熟睡できますようにと祈る。
子供の頃、父親から「はやく寝ないと大きな熊が来て食われるぞ」と脅され、寝かしつけられた。父の母であるおばあちゃんに、父も同じように言われたという。
徹平を見ていると、父を思い出す。プライドが低い振りして、本当は自我の固まり。そしてそれを完璧に隠しきれない不器用さ。
あの夜のこと。恐怖でも、痛みでもない、過去の焼き直し。それは、些細な始まりだった。ほんの茶目っ気のつもりで珠美がしたことに、反応した徹平。「暴れたら、押さえつけないと」「−いったん始めたら、途中でやめられない」
暴力を振るわれた子供は大人になってからもそういう状況を選ぶ傾向にあるというのは嘘だと思っていた。
今まで、つきあった人に手をあげられたことなどなかった。それなのに。
珠美の幼い頃の記憶。何かと暴力で叱り付ける父親。見て見ぬ振りをする母。父は珠美に言った、言葉でわかるようになったから、身体で教える必要はなくなった。しかし、珠美に心の傷は残った。
徹平。弟との過去。そこには、言葉では理解させられず、暴力でしか屈服させられなかった過去があった。
そんなある日、徹平の子供を妊娠したことに気づく珠美。徹平に告げた。自分の部屋に閉じこもる徹平。家を出る珠美。でも、戻るところがない。帰った部屋は荒れ狂っていた。そのなかで静かに呼吸する徹平。
二人で、いや三人で新しい生活を始めよう、そう決心をする二人。


たぶん、いい話。飲み込まれそうなDVという事実に立ち向かい跳ね除けようとする二人。しかし、どうも弱い。二人がDVに立ち向かうための何かが、作品のなかで強く二人に働きかけているならともかく、残念ながらそういう契機を発見できなかった。それが故に、キレイゴトに終わらせた感が否めない。
いや、むしろ、作中で語られているように「そういう環境で育った子は、同じ環境を作りやすい」という現実としての事実が圧倒的に強く、島本理生が狙った再生への道以上に、崩壊への序曲が鳴り響いているように感じられた。光に向かうラストのハズが、その光があまりに弱く、いつの間にかあたりは暗雲立ち込めてしまったような。


珠美と徹平、ともにそうした環境を受け継いでしまったふたり。そこに、残念ながら明るい未来が見えない。もし、無理に見ようとするならば、それは思いきり臭いものに蓋をした状態。それはまさしくキレイゴト。
大好きな、気になる作家だから。敢て苦言を呈したい。DVというテーマを軽々しく扱ってしまったのでは?


個人的にはDVは、理解できない世界。ありがたいことに、DVと遠い世界に生きてきた。そういう人の悲しい習性については頭で理解できるが、何故?と言わずには言えない。受容、認容を許すな!勇気をもって闘え!そして、決して、どんな甘言をもってして謝ってこようと赦してはいけない。強く、気高く、孤高に生きる強さを持って欲しい。