ハリガネムシ

ハリガネムシ

ハリガネムシ

ハリガネムシ吉村萬壱(2003)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、文学、芥川賞受賞


ネットの本読み人仲間の聖月さんや、かえでさんがオススメしているので、ちょっと気になっていた作家。年末は予約していた本を多数入手して読むと思っていたのが、当てが外れた。むなしく歩く図書館の書架から、ひょっこり顔を出していた本書を手にとってみた。


だから、ホラーとかスプラッタは苦手なんだってば。
爽快な暴力シーン・殺人シーンというのも変だが、ハードボイルドやミステリー、冒険小説での殴り合い、決闘、殺害のシーンはそれほど嫌いではない。しかし、人の生理に訴えかけるような描写は、それが些細なものであっても苦手、例えるなら、前者が明るい鮮やかな赤、対して後者はどす黒く、粘つくような血の赤。同じ赤でも好き嫌い別れるるだろう。本作はまさに後者。


高校教師になって2年目。倫理の教師である持つ慎一が主人公。他校の女子生徒へのリンチ事件に関与した生徒の中に、慎一が副担任をしている三年のクラスの生徒、酒井英子が混じっていた。彼女自身も、一年次のとき同じような集団リンチの被害者であり、あそこの一部を切り取られたという噂だと四十女の柴田女史は平然と言い放った。酒井は見ていただけで、手を下していないということで、有耶無耶のまま、一週間の停学処分で決着をみた。事件の処理で遅くなった帰り道、空腹を覚え、柴田女史を食事に誘おうかと思う慎一。しかし、声をかける隙ももなく、旦那が食事を待っていると帰っていった。
閉店間際の銭湯から部屋に戻るとサチコという女から電話がかかってきた。半年ほど前、1986年の年末に行ったトルコ風呂の女であった。貧乏くさい小柄な身体。幼稚な言葉、あるいは品のない方言でしゃべる彼女に乞われるまま電話番号を教えたのだが、半年後に電話をかけてきた。五万円貸して欲しい。回数にして四回分か、慎一はそんな計算をした。お金を貸すとき、サチコの身の上を聞く。夫がいて、今は人を殺して刑務所に居る。徳島の施設に子ども二人を預けている。金を貸したあと、やはりサチコからの連絡はなかった。
柴田女史と、酒井英子の家庭訪問に行く慎一。間近に見た柴田女史の脚は熟れ切った果実のようだった。
そんな慎一のもとに、サチコがまた現われるようになった。部屋に来て寝る。あっという間に、そういう生活に慣れきる慎一。サチコの腕には、何本もの薄いリストカットの跡があった。
夏休みに入り、サチコと車で四国までの旅行に出る慎一。温泉宿の露天風呂は、それと知らずに入ってみれば混浴だった。他の男にサチコに裸身を見せつけたい衝動に駆られた。
サチコの子供に会うために、施設を訪れたふたり。サチコ自身も中学までいたというその施設では、応対に出た職員とも数え切れないくらい寝たというサチコ。子供と別れる時に半狂乱になったサチコ。そして、別れたあとの憔悴振り。
「結婚してやる」慎一の口から出た言葉。無邪気に喜ぶサチコ。しかし、その言葉はあっさり裏切られる、慎一が弟に言われた一言で。その夜、サチコはホテルの風呂場で腕を切った。今までになく深く、大きく。医者を拒否するサチコの傷を、裁縫道具で縫う慎一。黒い糸で、サチコの皮膚に針を突き刺し、ジグサグに縫う。糸で縛られた傷口に人差し指を突っ込み、サチコの絶叫が耳を貫く中、慎一は、異常な興奮を覚え、自讀した。血と精液で汚れた手。
堕ちていくこと、それはとても簡単なこと。そして、二学期が始まった慎一とサチコを襲った暴力事件。
慎一の何かが壊れた。学校にも行かず部屋に居る慎一のもとにサチコがやってきた。慎一の頚を絞めるサチコ。サチコの中に菩薩を見る慎一。そして、慎一の下半身に顔を埋めるサチコ。


皮膚を突っ張り、針を突き刺す場面、あるいは旅行から戻った、慎一とサチコを襲う暴力シーン。こうした描写については、正直、生理的に受け付けない。
しかし、実はそうした点を除くと、高校の倫理の教師である慎一の、壊れていく様、堕ちていく様に対して、まさに引き込まれるように読んだ。第三者として他人(ひと)が堕ちていく様を見ることが楽しいのか、それとも慎一に自分を投影して、堕ちていくことの簡単さと、そこに潜む魅力に惹かれているのか自分でもよくわからない。
いや、おそらく後者が強いのだろう。一生懸命頑張って、大したことのない、かくあるべしと信じる自分の位置を必死に守っているより、堕ちてしまうことは簡単だ。一度堕ちれば、あとは自分を飾る苦労はいらない。堕ちる勇気、あるいはきっかけさえあれば。本作品は囁きかけてくる。他人の眼なんか気にするな。


芥川賞受賞。なるほど、文学である。読者を引き込む露悪的な小説。しかし、どうしても、惹かれてしまう自分がいることも事実である。