魔王<感想編(ざれごと編)>


「魔王」伊坂幸太郎(2005))☆☆☆☆★
<感想編(ざれごと編)>
※<あらすじ編>(2005.12.5)http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/18525465.htmlの続きです。


孤高でありたい。
いつも、そう希ってきた。他の人と違うと云うことではない。たった一人の自分でいたい。
自分のことは、自分で決める。流されるのでなく、自分で勝ち取る。結果は同じであったとしても、それは自分のもの。そう云う生き方をしたい、できれば、と思っていた。
尤も、希うほどできないのものなのだが。


2005年を振り返ると、ぼくの青春のバイブルと云える漫画「はみだしっこ」(三原順)を巡る某作家の盗作騒ぎがあった。それを知って、ある三原順を扱うコミュであくまでも情報として書き込みをした。その際、同じ作品を読み、同じ想いを持っていると信じた愛読者たちの反応は様々であった。ショックだったのは、「はみだしっこ」という作品を通して、三原順が一番キライなことだと訴えてきたとぼくが信じていた、声高に騒ぐこと、ムーブメントに乗ること、そうした動きが見られたこと。声高に叫ぶことは、三原順ファンの矜持としてどうなのだろうと書いていたにも関わらず、。
いや、そのことを糾弾するつもりはない。様々な人が、様々な思いを持ち生きること、それこそが「はみだしっこ」という作品のテーマであると、ぼくは思っているし、信じている。多様性を認めること、それが作品のテーマ。故に正しいことは、幾つあってもいい。ただショックだった。


うろ覚えだが「はみだしっこ」という作品のエピソードの中で、夜中のクラブの熱狂のなかで思考することを停止し踊ることに、身を任せている年長のふたり。しかし違和感を覚え、年少の仲間二人のもとに戻る話がある。伊坂の「魔王」は、まさにそのエピソードに重なる。


「魔王」という作品で犬養というカリスマの進める政策、あるいはアピール、それをよく考えないで、受け入れる民衆。犬養の指し示すそれは、わかりやすく、かっこいい。まさに大衆はイメージに乗ってしまう。確かに犬養は大衆を操作することがウマイ。しかし、もし一人一人がきちんと犬養の言葉を吟味して、犬養の政策を理解した上での変革であるならば、世界の進む方向は違う。大衆という言葉にくくられるモノとなってしまったとき、ヒトは人間ではなくなる。


飲み屋「ドゥーチェ」のマスターが語る、この国の住民全員が、あるいは半分でも広場に集まって、自分以外の何かのために蝋燭に火をともし、あるいは花束を置くようなことがあったら、世界で起きている大半の問題は解決すると思わないかと、いう言葉。これはまさに詭弁である。
ホワイトバンドという運動がある。「ほっとけない世界のまずしさ」というスローガンで始まったムーブメント。スローガンに賛同した人は、300円のホワイトバンドを購入する。スローガンは立派である、しかし今、その収支を問題にする動きがある。多くの人が購入した収益の使徒がはっきりしない、あるいは、収益性の高い事業ではないのか。このムーブメントに参加している一人一人が、そのことを認識した上で、理解した上で参加しているのであるならば、それは例え収益事業であっても構わない。まず、「世界のまずしさ」貧困問題を理解している、あるいは理解しようとする姿勢としてのホワイトバンド。それはそれでいい。しかし、それがただファッション(=流行)としての参加だけなら、意味がない。
まさに、マスターの語る「人々が花束を置く姿」。他人のことを考える形だけを真似ている。そこに意味はあるのか?ファッションだけなら、それも一過性で終わってしまうことなら、そんなムーブメントはないほうがマシ。
この夏見た映画「マザーテレサhttp://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/10282991.htmlで、マザーテレサは徹底的に組織を嫌った。組織を作ると、ひとりひとりでなく、効率運用を考える集団活動になる。映画のなかでマザーテレサは、自身を中心とした財団を解散させる。彼女は、決して組織というものの怖さを深く考えたのではない、直感的に、その怖さを知っていたのだ。まさに「魔王の」主人公、安藤が俺だけが気づき、おののいていると語ったように。


「考えろ、考えるんだ。」
マスの動きを否定するつもりはない。しかし、まず、考えて、自分のものにして、そして、感動し、語って欲しい。ひとりひとりが考えて、同じ方向に進むのならば、それこそが民主主義のかくあるべき姿だ。


みなが感動するから、同じように感動する。そんなたやすい感動は欲しくない。例え多くの人と違う意見であっても、勇気を持って、自分の意見を述べていきたい。改めて、そう思った。
伊坂幸太郎「魔王」という稀有な作品に出会えたこと。今年の読書、最大の喜びであった。


蛇足:ちなみに「ホワイトバンド」のほうは、まだ問題が解決されていないよう。また、貧困を考えるなら、ユニセフという組織も立派にある。これも組織であるが、。