月神の統べる森で

月神の統べる森で

月神の統べる森で

月神の統べる森で(つきがみのすべるもりで)」たつみや章(1998)☆☆☆☆☆
※[913]、国内、古代、小説、ファンタジー、児童文学、民俗学、伝承、縄文、弥生、カムイ、月、神


年末年始は飲んで喰ってだらだら過ごし、読めないと思っていたのだが、存外、本を読むことができた。
読了本「灰色の王-闇の戦い3-」スーザン・クーパー、「影との戦い-ゲド戦記1-」ル・グイン、「退廃姉妹」島田雅彦、「海賊モア船長の遍歴」多島斗志之、そして本書。しまった、感想を書くのを貯めてしまった。なんか、休み明け目前で宿題に悩む子どものようだゾ、新年早々(苦笑)。


常々、読みたいと思っていたというか、書架から呼ばれていた本書であるが、思わぬ傑作。いや、新年早々、いい本に出逢えた。本書は、いわゆるハイファンタジー(本格ファンタジー)である。時代は、古代。作者あとがきによれば”自然と神と共に生きる”縄文と、”稲作と集団生活の”弥生という二つの文明の出逢いを描くことで、私たちの現代と未来を考えてみたいという思いがあるとのこと(” ”内は評者)。主題は「月の神」の神話。大昔から日本人の生活に於いて、月の満ち欠けを基準にした「太陰暦」が生活の基本となっていたのにも関わらず、月の神の物語(=神話)が「日本書紀」にも「古事記」にも断片的にしかないことからから、作者は自分なりの「月の神話」を創り、物語を紡ぐ。本作はこの後、「地の掟 月のまなざし」「天地のはざま」「月冠の巫王」に続く四部作へと広がり、また外伝「裔を継ぐ者」があるとのこと。続きを読むのが楽しみな作品。


本書は児童向けと謳いつつも、実際子どもが読むにはちょっと難しすぎるのではと思われる多くのハイファンタジーの作品のなかに於いて、活字も割合大きく、登場人物と物語の事象を絞り込んでいるため、たぶん小学校高学年くらいの子どもからでも読みやすく、わかりやすい作品と思われる。つまり、とっつきやすい作品。また、東逸子の挿画が作品ととてもマッチしている。勿論、わかりやすく、読みやすいだけではなく、内容もずっしり、考えさせられる良質なファンタジー。作品がこの先どう進むか予想だにできないが、同じ作家の作品「ぼくの・稲荷山戦争」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/19178250.html ]同様、ぜひ子どもに読んで欲しい一冊。勿論、言うまでもなく大人が読んでも、充分価値がある。物語好き、ファンタジー好きな方は、ぜひ読むことをオススメします。☆は久々に5つ。


昔、月と日の兄妹はともに一艘の船で天空を渡っていた。そのため昼は二倍明るく、夜は暗闇。それでは不便なので、兄妹別々に昼と夜を渡ることになった。妹が夜の闇を恐れため、兄が夜を渡ることになった。それで日は昼間に照り、月は夜を照らすことになった。


この世のすべてのものの死と再生を司る月の神の、地上での息子であるしるしの銀色の髪を持って生まれたシクイルケ。彼は生まれた瞬間からムラのカムイとなる運命の者として、ムラの者にとって敬い、畏れる存在であった。そんな彼の幼い頃からの慰めであり、また親友でもあったのが、ムラ長(おさ)の息子、一日違いで生まれた従兄のアテルイ。5年前、18歳のときクマに倒された父の仇を討ち、今やムラの若き長として活躍している。そんな二人が、近隣のムラの6人の長とともに捕らえられた。ヒメカの民・・とアテルイたちが呼んでいる者たちの手によって。
ヒメカの民、彼らは、アテルイが幼い頃に、大きな船にのって海からやってきた。川下の湿地に、イネと呼ぶ草を蒔き、その身を食べて暮らしていた。ヒコと呼ばれる長を立て、ヒコはヒメカと呼ばれる彼らの巫女に仕えている。巫女のヒメカは、人間の女だが太陽の神の妻であるということだった。冬も夏も同じ場所で暮らす彼らは、自分たちの住むクニに固執し、そこに訪れるものを警戒し、追い立てた。そんな彼らと、ムラの者が敵対するようになったのは、ヒメカのクニが嵐で不作だったとき。彼らは、ムラの者たちの猟場と決っていた山に、大勢でやってきて、山にいたシカというシカをとっていった。春を迎えた大地が芽吹かせてくれた山菜を、魚を、すべて採りつくしてしまった。ムラのものたちならば、必要な分量だけ採り、あるいは先のことを考え残すところを。
あまりの仕打ちに、アテルイはシクイルケの託宣に従い、他の六つのムラの長とともに、ヒメカのクニを訪れた。しかし、そこで待っていたのは、無礼な応対であった。
シクイルケが月の地上の息子として語りたいと告げる。すると、ヒメカ様は日の神の妻、お前たちは、ヒメカ様に従い、住む土地を差し出し、臣下として礼を整えろと返される。日の神は女神で月の神の妹、妻など取れるはずはない、ましてや兄たる月の神に礼をとるべきだろう、アテルイが語る。しかし、ヒメカのクニの者はそんな神語は知らないと応える。そして埒が明かないと帰ろうとするアテルイ、シクイルケ、そしてムラの長たちを捕らえ、暴力を振るい、地面の穴に閉じ込めた。
シクイルケのカムイの力で脱出するムラのものたち。しかし、ヒメカの者たちの暴力に深手を負ったシクイルケとアテルイの二人は、他のムラの長と別れ、川のカムイ、山のカムイの助けで洞穴で休養をとることとなった。
ポイシュマ。父親モナッレラと、兄のイヤオプ、姉のエミナと、カムイたちに深く感謝しながら、森の奥でひっそり暮らす少年。目下の不満は、13歳になるのに父親が狩りに連れて行ってくれないこと。兄のイヤオプは10歳のときに連れて行ってもらっているのに。ある日、森の中でマムシに噛まれたところをアテルイに助けられた。シクイルケの懸命の治療により一命をとりとめるポイシュマ。彼は、家族以外の他の人間を知らないという。
シクイルケは語る、ポイシュマの黒髪に混じるひと房の銀の髪、そして翡翠の色の目、それはある重いカムイの面影にそっくりだと。神話で言うほうき星のカムイ。何十年に一度、あるいは何百年に一度、彼の精を受けて生まれた子どもは、いずれもひと房の銀をまじえ、瞳は魔を睨み祓う翡翠の色。その子らは、人間たちを苦しめる災いのやってくる知らせあり、またその災いと闘って人々を救う英雄である。大長老が死ぬ間際にシクイルケに語ったその名は「かがやく尾を持つ星の息子」。
アテルイに送られ、家族のもとにもどったポイシュマ。そこでポイシュマを待っていたのは、おとなの男となるための儀式。たったひとりで、狩をすること。家族の祈りに守られた、弓を、矢筒を、着物を着てポイシュマは家を出た。父の命に従い、たった一羽の森のカムイ(シマフクロウ)を狙いに。
ポイシュマの矢は、見事大きなシマフクロウを射抜いた。獲物を持ち帰ったポイシュマに待っていたのは衝撃の真実だった。家族との別れ、哀しみを乗り越えアテルイとともに旅立つポイシュマ。
洞穴にもどった二人。しかし、そこにシクイルケの姿はなかった。シクイルケは、ヒメカのクニの追っ手に捕らえられてしまったのだ。跡を追う二人。そして待ち伏せの者と闘うアテルイ。ポイシュの兄であるオオカミのカムイ、姉であるカケスのカムイの助け。闘いのなか敵の少年、ワカヒコの命を救うポイシュ。ワカヒコとの出会い。一度は魔物とポイシュを恐れ、倒そうとしたワカヒコだが、友達になろうとするポイシュマをカムイと崇め、ついて行こうとする。
シクイルケをさらいクニへ連れて行こうとするヒコと、アテルイの死闘。最後にたった一人残り、それでもシクイルケにとどめを刺そうとするをヒコから、シクイルケの命を救ったのはワカヒコだった。しかし、ワカヒコは瀕死の重傷を負う。己の生命をかけ、ワカヒコの命を救うシクイルケ。
寝台に乗せられ、クニに戻るワカヒコ。そしてムラに戻るアテルイケとポイシュマ。
物語は始まったばかり・・。


前半のあらすじを、ちょっと詳細に書きすぎたかなとも思うがこれは次の作品に繋がる大切なエピソード。敢て、書かせてもらった。この先、アテルイは、ボイシュマは、ワカヒコは、そしてヒメカはどのように繋がっていくのか。あとがきに書かれた通り、縄文と弥生がモチーフならば、アテルイたちに未来はあるのか。どきどきわくわくの物語が待っている。
文明、神話の違い、それは立場の違い、それぞれがそれぞれの正義を胸に抱き、部族の対立があり、また人間の触れ合いがある、それらがどのように融合し、物語が進んでいくか楽しみである。