スタンレーの犬

スタンレーの犬

スタンレーの犬

「スタンレーの犬」東直己(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ロードノベル、北海道


東直己といえば、北海道を舞台に描くハードボイルド、最近は道警の不祥事をその小説を通し告発すると決めつけていた。「義八郎商店街」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/2821882.html ]でいい意味で裏切られ、そして、本作でもいい意味で裏切られた。


「人間は、実は、欲得で動くもんじゃない」
 折井さんはよくそう言う
「本当は、欲得だけで動くことができれば、世界はもっとすっきりするんだ。だが、人間は、損得だけではなかなか動けない。だから、問題がややこしくなる。それを、すっきりと交通整理してやって、関係各位がそれぞれに最も得する道筋を教えてやり。それが、俺の仕事なんだ。」(p14)


交通整理の職人、折井さんと僕が出会ったのは、僕が18のころ。交通整理とは、人々の色々な問題に筋道をつけて解決する手伝いをする仕事。そして僕は、そんな折井さんの仕事を”説得屋”として手伝う。自分では、そんな力があるとは思ってなかったが、僕がそうと促すと、人は納得してその方向へ向かう、そんな”力”が僕にはあるようだ。
折井さんと初めて出会ったとき、彼は僕に向かって言った「寝る場所がないのか?」。それが、僕と折井さんの始まり。
ある事情で、両親をなくし中学を中退、ひとりで何もない石造りの蔵に暮らす19の僕。僕は、普段は自分の本名を偽り”出帆”と書きイズホを名乗っていた。しかし、ふと、折井さんには自分の本名を語り、そして、折井さんは僕を本名でなくユビと呼ぶ。そんな僕を主人公とした北海道を舞台にしたロードノベル。
北海道の地場で、本業の御門食品を中心としたグループ企業、「ミカド屋」のオーナー社長御門香奈を一週間連れ出し、札幌に近づけない、電話さえもさせない。それが折井さんから依頼された今度の仕事。裏には、彼女が札幌から姿を消している間に、ミカド屋から御門一族を追い出す計画があるらしい。ミカドグループ全体の業績不振、本職以外の多角経営を目論む、彼女の経営方針が支持されなくなった。僕の力は、説得する瞬間(とき)には役立つかもしれないが、ずっと人の心を操るものではない、無理だ。しかし、折井さんの調べによると、彼女は四年に一度、誰にも何も言わず、急に失踪するクセがあるらしく、まさに今がその時期。そこをうまく利用すればよい。
さりげなさと、偶然を装い、彼女と接触。そして、何もない、オホーツクに面した浜根津列布に僕は香奈とふたり、旅をする。
折井と僕の出会い、そして今までの物語。あるいは僕と両親の物語を交えながら、僕と香奈の旅は続く。途中、僕の任務を妨害すべく敵が送り込んだ、同じように”力”を持つ菰原との交差があった。
僕は無事、任務を果たす。そして、僕と香奈は別れる。二度と会うことはないだろう・・・。


物語は終わった。しかし、そこには、そこはかとない哀しみが漂う。いや、それは作品を通じて常に漂うもの。この旅は主人公に何かを与えたのだろうか、そしてまた、香奈に。


しかし、女社長、香奈を58歳に設定した意味はどこにあったのだろうか。女盛りの40代であるなら、まだ物語としてもう少し共感できる気のかもしれない。この老女とも言える、58歳という設定の意味が分からない。作品のなかでも、58歳という年齢を意識しつつ、その年齢らしくない、若々しい姿で描かれる。ならば、58歳である必要はどこに?そして、僕は残念だと思った、最後に、孫にも近い若い主人公と男女の肉体関係を持つ年齢なのだろうか?そういう関係を期待できる書かれ方をしつつ、最後までそれがなかったのを評価していたのだが、最後にやはりというか・・。でも、58歳の女性だよな。


折井が語る台詞、人間の生き様であり、あるいは金についての考え方。それは東直己の伝えたい生き様なのだろうか。とにかく本作品は物語を楽しむというより、考えさせられながら読む小説であった。


若者は成長すべきが物語を読む信条であり、青春小説、成長譚を愛する僕であるが、この作品はそれがないことを指摘した上で、赦してしまう。主人公である僕は、老成、あるいは凍っているともいえるほどに頑なである。それが、そうある理由も作品に書かれており、納得できる。彼を溶かし、成長させる物語というのもあるのかもしれない。しかし、それは東直己の作品ではない。この物語は、主人公が通りすがり、交差点で人とすれ違う物語。確かにすれ違い交差するのだが、人に影響を与えることのない物語として読む。札幌、旭川、名寄、音威子府、宮来頓別、そして浜根津列布。見るべき観光地でない、それらの普通の町並みをローカル線でたどる旅。心が触れ合ったと思ったのは、幻想なのだろうか。


香港に突然行き、スタンレーというビーチリゾートで、普通の汚い海を眺めているときに見た、三匹の犬が突然喧嘩を始める姿。それはあたかも、観光地の犬が「観光客のために頑張る所存です」とも言いたげな姿。それが誰にも言ったことのない私の宝物と主人公に語る、香奈の気持ちはいったい何なのだろうか。


作品の雰囲気、匂いは嫌いではない。しかし評価となると、難しい。いや、まだ読み切れていない。いつか分かるのだろうか、いや、また、いつか再読をしてみたい作品。


蛇足:先日、新聞で、道警の「泳がせ捜査」について誤報であったと、北海道新聞が謝罪報道をしたという記事を見た。泳がせ捜査の結果、覚せい剤130キロ、大麻2トンが道内に流入後の行方も不明と云う記事が、確証しないものであったと云うもの。確かに、確証はなかったのかもしれない、しかし、それに近いものはあったのではないか。東直己の作品を読み続けてきた読者はそう思ったに違いない。「熾火」の終わり方が、決して心地よいものでなかったにしても、やはり東直己の、北海道を舞台にした、作品を通し東直己が何かを訴える、そんな彼のハードボイルドを読みたい、切にそう思う。