凸凹デイズ

凸凹デイズ

凸凹デイズ

「凸凹デイズ」山本幸久(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、青春、デザイン事務所


新人、三冊目の作品ながら、あぁ、この人はほのぼのとした青春小説を書かせるとうまいなぁと思わせる山本幸久。「笑う招き猫」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/6231142.html ]
で、すばる新人賞を受賞、二作目「はなうた日和」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/17756062.html ] も好評の作家。次々と、佳作を発表、新人ながら安心して読めるというのは、新人作家として褒め言葉なのかなとも思うのだが、とりあえず安定した力を持つ作家。


あるデザイン事務所に所属していた、男二人、女一人が独立して作った会社、凹組を舞台にした青春譚。メンバーの入れ替わった現在の凹組と、十年前の凹組の姿。そして、起こる事件。


九品仏にあるアパートの一室を事務所にした、広告からエロ雑誌のレイアウトまでどんな仕事もひきうけるデザイン事務所凹組。主人公は、そんな事務所に雀の涙のような給料で勤める凪海(なみ)。大滝と黒川という個性的な先輩、それに凪海の三人だけという小さい事務所だが、今回大きな仕事をもらえそう。慈極園(じごくえん)という遊園地のリニューアルプランのコンペに参加、最終コンペの二社のうちの一社に残った。結果は、若き女社長、醐宮率いるQQQと、凹組のふたつの会社に仕事が依頼されることになった。凹組で選ばれたのは凪海がデザインした、凪海の子供の頃から常に傍にいたキャラクター「デビゾーとオニノスケ」。デザイン雑誌にも紹介されるようなQQQの社長、醐宮は何やら凹組とかかわりあいがあるよう。実は、十年前、凹組を立ち上げたときのメンバーの一人だった。
そんな凪海、醐宮、大滝、黒川、そして代理店社員、磐井田のいまと昔の物語。
慈極園の仕事の都合で、QQQに出向する凪海。醐宮とふたりで飲みに言った先で、大滝、黒川の昔の話を、少し羨望を覚えながら聞く凪海。私は、オータキ先輩やクロカワさんの歌うカラオケなんか知らない。
QQQの事務所で奮闘する凪海。そんな日々のなか、慈極園に事件が!慈極園の仕事はどうなるの?


まず、この作品を読み終えた感想は、冒頭に述べたとおり、うまい、安心して読める青春小説。ハラハラやドキドキはないものの、友情でも愛情でもない、仲間の物語。その意味では間違いのない小説。
しかし、今一度振り返ると、ちょっと、あれ?という部分が気になりだした。


男の子は、いつでも女の子に置いてきぼりにされる。これは思春期の青春小説の典型。そんな女の子の後を、男の子はとぼとぼついていく、あるいは、女の子のほうが、男の子って子供ねぇとあきれながらもやさしく見つめる。この作品も類型をきちんと踏んでいる、そこが安心して読める所以。もちろん、突っ走る女の子を男の人がフォローするという部分もきちんと書かれており、これはこれで女の子が可愛く見える。でも、この作品の男の人って、これでいいの?
30過ぎでも男の人は、男の子っていうのは、ひとつの真理。仕事で大人の男を演じながらも、ふとしたことで男の子に戻ってしまう、あるいは男の子のままでも、仕事は大人。これが大人の小説だと思う。ところが、この小説の二人の男性はどうも大人になっていない気がするし、大人になろうとする気概も見えない。確かに、仕事はきちんとこなす。しかし、それが本当にそれをやりたいからとはどうも読み取れない。
「どんな仕事もおれは精魂こめてつくってる。クライアントのため、読者やお客さんのために一生懸命考えてやってるんだ。一度だってショボいと思ったことはない」(P259)
確かに大滝は仕事は一生懸命だ。しかし、なぜ小さな仕事で我慢しているのか、もっと大きな仕事をとってこようとしないのかが伝わらない。たとえば「俺は俺のデザインを本当に気に入ってくれるクライアントのために仕事をするんだ。入稿してしまえばそれで終わりの仕事はしたくない」みたいなことを言ってくれれば、まだ共感できるのだけれど。30はまだ青春なのかもしれない、しかし、そろそろ未来も見えてこなくていいのかな。同じようにデザイン事務所、編集プロダクションを舞台にしたろくでなしの男の登場する小説をよく見かけるが、大概、結婚し、奥さんを苦労させながらも、好きなことをしている男が登場する。結婚すること=大人ではないが、結婚=社会的責任を課せられている、という図式はあると思う。社会的責任が立派であるかどうかでなく、大人に余儀なくさせられたなかで、男の子でいるから、男の人は魅力的なのだと思う。
大滝と黒川は、確かに魅力的な”人物”である。しかし、本当の”魅力”なのかどうかは疑問。振り返ると、どうもグズグズしているだけに思える。
その意味では、最も成長を期待される凪海にしても不満が残る。差し出された金や地位でなく仲間をとり、仲間のもとに戻る。これはとてもいい話。でも実は、物語を通し成長することなく、居心地のいい仲間の居る場所に戻っただけ。凪海がなんらかの成長をして、仲間のもとに戻るならよい。そして、大滝と黒川を成長させるきかっけになるなら。
しかし、凪海も全然変わっていない。個人的には凪海には、子供の頃から親しんだキャラクター「デビゾーとオニノスケ」との別離があるべきだったのではないかと思う。
「凪海、デビゾーとオニノスケとさよならできるか」「一度、手垢のついたキャラクターではダメだ。新しい慈極園を作るためには、一から始めなければ。それは、俺たち凹組も同じだ。」なんてセリフを大滝に語らせたら、きっと、もっと違った感動があったのでは。同様に凹組に戻ってくる醐宮にしても、古巣に戻ってくる上での気概が欲しかった。いや、いち読者の勝手な妄想。


キャラクター的にも、もっと大滝や黒川を書いて欲しかった。いつも、海外のコミック、アニメのキャラクターのシャツを着る大滝。外見的な特徴はあっても、中身が不足。黒川との共通の趣味であるはずの映画の話とかあってもよかったのでは。また、何故、黒川が、醐宮が、大滝と一緒に仕事をしようと思うに至ったのかを、もう少しきちんと書くべき。器用貧乏なところがある黒川や、ふつうに”出来る”醐宮にとって、たまに見せる大滝の才能、それは最初に三人が所属していた事務所ゴッサム・シティで大滝が勝手に出稿してしまった焼酎「いちころ」の広告デザイン、あるいは醐宮が自分の手柄にしてしまったクリエイト・コンテストに応募した、口紅の広告のデザイン、キャッチ・ロゴ、そういったものに一目置いていたとかを、小説の中にきちんと書くべきだったのでは。この作家の作品は、読者に読み取ってほしいではなく”きちんと提示する”ほうが”らしい”気がする。
黒川、デザインについての天性の素質を持つが、しかし自分ではそれと意識していなく、当たり前と思っている。知らない人とのコミュニケーション能力に欠け、アイスキャンディー・ガリガリ君をこよなく愛す、着物を普段着とする巨漢。
彼にしても、天才と大滝や醐宮をして思わせながら、勲章ともいえるコンテスト等の入賞経歴がないのは、ちょっとどうなのだろう。彼がまごうことなき天才ならば、10年以上デザインの仕事を続けていればなんらかの勲章を得ていてもおかしくない。醐宮がその名声をひとり持ち去ったとしても、凹組でコンテスト入賞を果たした事実をすれば、長年付き合ってきた代理店、未名未コーポレーションの磐井田が、もう一度コンテスト応募を、残された二人にもちかけててもおかしくない。敢てそれを断った等のエピソードなんかも欲しいところ。大滝同様人間をもっと書いて欲しい。


決して、不満足な作品ではない。この作家に期待すればこそ、敢て述べてみた。もう少し、もう少し。


蛇足:この作家の書くエピソードの幾つかは、いつも秀逸だなぁと思わせる。例えば長年のつきあいの代理店の担当磐井田。凪海が”喜怒哀楽を笑いだけで表現している”と思った彼の10年前は、”喜怒哀楽を泣きっ面で表現できるだろう”と思われてた。それを変えたきっかけ。あるいは凪海が聞いたことのない、大滝と黒川のカラオケ。前作「はなうた日和」で共通キーワードで出てきた「世田谷もなか」がこの作品にも出てくる。実はタイトル「凸凹デイズ」の”デイズ”も密かに”〜日和”の英訳では?なんて、ちょっと穿ちすぎか(苦笑)。