悪党たちは千里を走る

悪党たちは千里を走る

悪党たちは千里を走る

「悪党たちは千里を走る」貫井徳郎(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、誘拐、詐欺師、ユーモア


これは、ちょっと酷いんじゃないか。正直な感想。
貫井徳郎という作家、評判は聞いていたが、実は読むのは二作目。ちなみに一作読んだのは「神のふたつの貌」。ある程度、小説家として地位、名声を確立した作家が、こんな小説を400ページ近く費やして上梓してよいのだろうか?正直、がっかり。いや、読みはじめからイヤな匂いがしていた。しかし、きっと、きちんとまとめてくれる、そう思い読んだのが間違いだった。
期待して読んだからなのか、はたまた作品自体が酷いのか、個人的には後者だと思うのだが、ネットの他の方の意見では好評のものもあるので、各人それぞれ、自分の目で評価して欲しい。本当は☆はふたつくらいが妥当では、と思うものの、ちょっと自信なしで☆三つ。かなり甘くつけた。


真面目に生きてきたからといっていいことがある訳じゃない。とくに社会に出てみれば、真面目より調子のいい奴のほうがうまく生きていける。いや、そんなことはない、真面目に生きていればいいこともあるはず。不器用に真面目に生きてきた高杉篤郎。報われたと思った高額当選宝くじを、換金へ向かう途上ですられた。何もかも馬鹿馬鹿しくなった。そして、人生を降りることにした。
ケチな詐欺師になった高杉に、慕いついてくるのは、カード詐欺のときに相棒となった園部。ちょっと頼りない相棒。そんな二人が標的にしたのが、田舎の成金、金本。徳川の埋蔵金を餌に、金を巻き上げよう。ところがそんな目論みも、金本の家で出会った絵画販売の女性のするどい突っ込みで水の泡。ほうほうの体で逃げ出す二人。どうも、同じ匂いを感じる。
高杉のマンションで園部が提案してきたアイディア、犬の誘拐。犬の誘拐にそんな大金出すと思うか?いや、出しますよ。人間の誘拐と違い、リスクも小さいし・・。園部の見つけてきたターゲットの下調べで出会ったのは、埋蔵金詐欺の計画をおじゃんにした、あの憎き美人絵画販売員。お前、ここでも、偽絵画を売ろうとしているのか!
ひょんなことからチームを組むことになった三人。しかし、ここでも邪魔が入った。ターゲットの家の息子、巧が高杉のマンションに現われた。ねぇ、僕を誘拐してよ。身代金をうまく手に入れる計画があるよ。
巧に痛いところをつつかれ、渋々、犬の誘拐から、子どもの誘拐に計画変更、あとは実行のみ。そんなときに、巧が誘拐された。そして、誘拐犯は高杉たちに身代金を要求してきたのだ・・。


詐欺小説って、まず、いかに読者を騙せるかから始まるものだと思う。しかしこの作品、しょっぱなの徳川埋蔵金のところで、あまりにも初歩的なミスを、たまたまそこに居合わせた同業者の女詐欺師に指摘される。最初の失敗から物語が始まるにしても、あまりにも安易な展開。この辺りから、早くもあやしい。その後も中途半端な知識から、妙に詳細な記述まで、どうも全体のトーンがちぐはぐ。緻密なコン・ストーリー、ミステリーを目指したいのか、はたまたユーモア小説を目指したいのかよく分からない。巧の誘拐事件にともない、登場する刑事にしても四人いるはずなのに、そのなかのリーダーである陰気な小物陰木と、何もしてないのに偉そうに見える天王寺の二人だけ描写してみたり、それもただの典型的なカリカチュア。なにかあるのかと期待したらハズされた。それは、金持ちだから「金本」、吝嗇家の「渋井」とか、いいのかそんな安直な設定といった部分にも見られる。
全般的に中途半端、ただただ冗長に過ぎてゆく、緻密さがないという印象。身代金の受け取り、換金方法、真犯人の割り出し、どこにも感心する部分がないというのはいかがなものか?
天才的な子供、巧の描写さえ、マンガ的。いや、自分を誘拐して欲しい理由が、それでも両親の関心を得たいくらいならまだ、納得できるのだが・・。
タイトル「悪党たちは千里を走る」だが、どうもケチな詐欺で助走をしている高杉が、大きな仕事をすること(=(イコール)千里の道)を指し、今回の誘拐事件で走り回るさまを表しているようだが、全然ドタバタ感も伝わらない。
どうせなら、園部が計画した「犬の誘拐」を、巧ともども実行したほうが、おもしろい小説になったのでは?
何よりいけないは主人公四人、高杉、園部、三上そして、巧があまりにステレオタイプのままで生きている気がしない。少なくとも、彼らに読者が共感できるほどには書いて欲しい。


あ、やっぱり、褒めるところが全然ない。これは、ぜひ反論を伺いたいものだ。