デカルトの密室

デカルトの密室

デカルトの密室

デカルトの密室」瀬名秀明(2005)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、SF、ミステリー、哲学、ロボット、AI、自意識


もしかしすると、一部ネタバレがあるかもしれません。未読者は注意を!


おもしろかった。しかし正直、半分も理解できていない作品。自意識を持つロボット「ケンイチ」の存在を通し、知能とは、自意識とは、あるいは「人間であること」とはと問いかけ、その答えに近づこうとする物語。どこまでが真実(ほんとう)のことで、どこからが虚構(はったり)なのか、その境が、あまりに高度な内容のため、浅薄なぼくでは見極めがつかず、まさにリアリティー(ほんとうらしさ)溢れる、上質なエンターティメント。
そして、また、<私>とは<私>の<意識>、<存在>とは、を改めて考えさせられた哲学書。もっとも真剣に深刻にそれを突き詰めて考えようとはしてないので、やはりエンターティメント(娯楽)小説。高校で倫理社会をもっと真面目にやっておけばよかったと、ちょっと後悔。我ながら、悩み深きない、気楽な人生を送ってきたと、ちょっと後悔(苦笑)。
作者があとがきで触れていた「攻殻機動隊」、あるいはそれをアニメ映画にした監督、押井守の「機動警察パトレイバー the movie 1 & 2」を初めとした押井ワールドが好きな人は、きっと好きだと思う。「新世紀エヴァンゲリオン」とは、ちょっと似て否なる世界。
匂い、雰囲気がよい。そしてロボットケンイチが自ら選ぶ、規範とする原則(ライト・ルール)がとてもよかった。それは”指輪物語”の主人公フロドの従者に過ぎないサムのそれなのだ。その部分を読んだとき、ぼくは思わず唸ってしまった。実は何度も読んだ”指輪物語”であったが、サムのスゴさというのはピーター・ジャクソン監督の映画の中で初めて気づいた。そしてまさにその部分が、ケンイチのライト・ルール(正しい規則)なのだった。
作品のなかで触れられる、数々の近代哲学、映画「2001年宇宙の旅」、小説「指輪物語」、そして、人工知能、あるいはロボット工学、こうした知識が深ければ深いほど、きっと面白い作品。万人にはオススメできない作品かもしれない。本当に理解して読もうとするならば、きっと何度も読み返し、関連書物の頁をくらなければならないだろう。しかし、理解にはほど遠いかもしれない、読みとおしたことでくすぐられるこの感覚。是非、読書の楽しみのひとつとしてオススメしたい一冊。そして、もう一度、あるいは何度でも再読して理解に少し近づけてゆければいい。それもひとつの楽しみ方。


<ここがネタバレ?未読者は注意!>
iBotと呼ばれる車椅子に乗る尾形祐輔、半身不随のロボット学者、そして彼の作ったロボット「ケンイチ」を主人公とした物語。物語の視点は「ぼく」を中心とするが、それは祐輔の「ぼく」である場合もあるし、ケンイチの「ぼく」の場合もある。同じ「ぼく」を視点としつつ、主人公がめまぐるしく入れ替わる。もっとも読者には主人公の違いを、容易に区別できる。祐輔とともにケンイチの心を育てる進化心理学者一ノ瀬玲奈の呼び名表記を<玲奈>、<レナ>と変えることで、区別を容易にしている。あるいは祐輔を<ユウスケ>と表記する視点で。しかし、この一人称表記が本作品では重要なポイント。


AI(人工知能)を評価するコンテスト、チューリングプライズ。例年ケンブリッジで行われるこの大会が、今年度より大企業<プロメテ>の巨額の寄付によりメルボルンで開催されるようになった。その大会に参加するため尾形祐輔は自分が作り、育ててきたロボット「ケンイチ」とともに大会会場にやってきた。プログラムの中に見つけたのは、10年前に両親ともども交通事故に見舞われ死んだとされていた天才科学者フランシーヌ・オハラの名前。AI研究の権威であるの日本人の父と、フランス人の母親の間に生まれたフランシーヌは、12年前わずか21歳で凄まじい強さのチェスプログラムを発表し、世界中のAI研究者の度肝を抜き、そしてその後も画期的な論文を幾つも発表し、その功績はこの世界に大きな影響を与えていた。その、今は死んだと思われていたフランシーヌが、突如、この大会に姿を現したのだ。
フランシーヌ本人そっくりのヒューマノイド、精巧につくられたヒト型ロボットに車椅子を押されながら会場に現われたフランシーヌ。ふたりはまったく同じ姿をしている。だが、同じではない、一方は人間だが、もう一方はそうではない。もともと表情の少ない、人形のようなフランシーヌ・オハラと、それを模したヒト型ロボット。
フランシーヌは大会に新たなチューリングテストを提案した。それは従来の考えをまっこうからくつがえす考え方。そして、祐輔は、フランシーヌによりこのテストに参加させられる羽目になった。テストが開催される中、祐輔は何者かに連れ去られ、密室に幽閉された。その部屋は、AIの世界ではよく知られた言語哲学者ジョン・R・サールがその論文で描いた「中国語の部屋」を実体化した部屋であった。自ら外すことの出来ない、視野を異常な、逆さまに映すバイザーを装着された祐輔は、そこでチューリングテストに参加させられた。キーボードを通じ必死に助けを求める祐輔。しかし、スクリーン上で、それはテストの回答の一部だと思われてしまう。狂わされた視界のなかで意識と肉体の不整合に混乱する祐輔の意識。
そんな祐輔を、ケンイチが探す。そして女の人に手招きされた建物の部屋のなかで発見する。「玲奈か?」と呼ぶ祐輔の声。「違うよユウスケ!」「レナじゃない、ぼくだよ!ケンイチだよ!」そこでケンイチが見つけたのは?。
会場に戻りフランシーヌ・オハラを射殺するロボット・ケンイチ。
フランシーヌの殺害の模様は、フランシーヌ自身に組み込まれたコンタクトレンズ様の超小型カメラにより、インターネットを通じ全世界へ発信された。世界中の人々が争うようにダウンロードし、見たこのムービーに、ある事実が発見された。見るたびに僅かではあるが変化が現われる。あたかも自らを成長させているかのようなこのファイル、ソフトウェアは、通称フランシーヌプログラム(FP)と呼ばれ、MITラボシステムのSETIシステムと同様なシステムで、世界中の協力のもと解析が行われた。そして、ある日FPから言葉が発せられた”Francine unboud, but I'm still locked in. "(解放されたフランシーヌ、しかし私はまだ密室の中に)。
物語はこの後、大企業プロメテの社長青木英伍の登場、そして、フランシーヌそっくりのヒューマノイド”ドリー”の発売、20年前のフランシーヌと祐輔の物語、あるいは天才学者フランシーヌと同じ天才学者真鍋浩也との出会い、ケンイチを子供のように育む(はぐくむ)祐輔と一ノ瀬玲奈の姿、小説家としての祐輔の編集者である奥野友美とその甥野村翔太郎のやりとりなどをサポート・エピソードとして、自意識とは、知能とは、知識とは、ロボットが心を持つとはといった多岐にわたる疑問を投げかけながら進む。そして、物語が行き着く先は?


無理やりあらすじをまとめようとしてみたら(苦笑)、テーマをAI(人工知能)かロボットかどっちかにもう少し絞ってもらうほうが、物語としてはわかりやすかったのかもしれないと思えた。作品で、有名なロボット三原則の「ロボットは人間に危害を加えてはいけない」を規定することの難しさを書いていた。いわく、「危害」とは何かきちんと規定しなければならない。つまり、われわれがあいまいに使っている概念が、機械には厳密に規定されていなければならない。そうした中で、機械としてのロボット「ケンイチ」の物語なのか、はたまたインターネットという網の目のように、あたかも人間の脳のような構造に広がるモノのなかで成長するAIの物語なのか、どちらかに絞ってみたら、物語がもう少し”判りやすい”ものになったのかと少し思った。尤も、この作家が目指すものが、そうしたありきたりの物語でないことは自明。ならば、もう少しケンイチを描いてほしかった程度に留めておくことにする。


むむむ、レビューを書いていて、いますぐにでも再読したくなった一冊。理解はできないかもしれないが、近づきたい。


蛇足:読んでいて頭の中で煌(きらめ)く映像。主に無機質な建物の中、そしてバーチャルリアリティーの世界が舞台の作品。故に実写とCGで映画化可能な気がする、ぜひ映画化してもらいたい。
蛇足2:ホラーSFのレッテルが華々しい同作家のデビュー作「パラサイト・イブ」もリアリティー溢れる作品で、決してホラーとしてでなくエンタィメント作品としてオススメ。
蛇足3:このレビューを書き終わった現在、未読だが、作家本人が講義した講義録「デカルトの密室-特別講義-」というHPが新潮社のHPのなかにあるよう。urlhttp://book.shinchosha.co.jp/wadainohon/477801-X/kougi.html