クドリャフカの順番「十文字事件」

クドリャフカの順番―「十文字」事件

クドリャフカの順番―「十文字」事件

クドリャフカの順番 -「十文字事件」-」米澤穂信(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、高校、文化祭、古典部ライトノベル


この作品は、「氷菓」「愚者のエンドロール」に続く古典部シリーズ第三作だそうで、単独で読むより、前二作に続き読むほうが楽しめるそう。なるほど、たぶんそうなのだろう、同感。
個人的にはシリーズ名がサブタイトルになく、また前二作は文庫本で、本作品は単行本で発刊されたという状況を踏まえると、仮にシリーズの三作目であっても本作品は単独の作品としての力を持つべきと考える。
いや、決してこの作品が前二作なくしては単独で成り立ち得ない作品だということではない。充分、単独で成り立っている。でも、もしかしたら前二作を読んでいたら、もっと感想が変わっていたかもしれない。単独で評価するには、もう少しだけ力が欲しい。そんな作品。


神山市にある神山高校の古典部。そこには個性豊かな四人の古典部部員が所属している。
千反田える」神山市の地主の娘。おっとりしているが、芯は強い?古典部の主将。
伊原摩耶花」小柄、童顔、でも血気盛ん?図書委員、古典部、漫画研究会を兼部している。今回、古典部が迎えた危機の張本人。責任を感じている。
福部里志」文化祭運営の総務委員会、手芸部古典部を兼部。楽しいことが大好き。文化祭もしゃぶりつくすつもり。古典部の危機さえもサカナに、クイズ大会や料理大会に参加する予定。データベースを自認するが、実は、それが弱みであることも自覚している。基本的にはひとりで楽しむをモットー。
折木奉太郎古典部に所属するが、無気力、<省エネ主義>。何もしないですむならそれに越したことはない。今回の古典部の危機にも、ひとりおとなしく留守番を買って出る。しかし、ふとしたきっかけで文化祭に起こった連続事件の謎を解くことに・・


神山高校文化祭、通称カンヤ祭を目前に古典部は最大の危機に見舞われた。文化祭で販売する文集「氷菓」が、些細な手違いで、当初予定の7倍、200部も印刷されてしまったのだ。当初予定の数でも、完売は難しいのに。
あの手この手で、文集を売り切ろうとする部員たち。クイズ大会や料理大会に参加したり、壁新聞や、放送部のラジオ放送に取りあげてもらおうと頼んだり、。いっぽう部員たちの奮闘とときを同じくして、文化祭では奇妙な連続盗難事件が起こっていた。置手紙を残し、十文字と名乗る犯人が盗んだものは、碁石、タロットカード、水鉄砲。
事件はだんだんと、文化祭の話題になってきた。そうだ、この事件を解決して古典部知名度をあげよう。そうすれば作りすぎた文集も完売だ!ちょうど犯人の最後の狙いも古典部のようだし・・。
果たして、事件の謎は解けるのか。そして文集は無事完売できるのか・・?


部員四人が、それぞれの視点で語るモノローグ形式。語り手が変わっても、それがだれが語っているかは文章を読んでいるだけでもわかる。さらに、より読者が区別をつけやすいように、語り手が変わる毎に、それぞれを表すトランプのマークでも表している。


さて、感想。とにかく色々ひっかかった。まず、作りすぎた古典部の文集「氷菓」。PP加工した表紙の文集を、当初目論見30部のつもりが、発注ミスで200部作成だそう。初期目論見がたった30部、加えてPP加工という設定。同人誌会の現在の状況はわからないのだが、30部程度の印刷であるならば版代幾らかかるの?とても現実的とは思えない。また、三日間も文化祭を行う高校において、当初目論見30部であっても、顧問、部員が引き取った残り24部さえ売れ残り必至とは、ちょっとありえないのでは?損益分岐点120冊、200円×120冊=24,000円という金額。部員四人で頭割りにすればひとり6,000円。決して、いまどきの高校性が悲壮に感じるほどの金額とも思えない。三日間の文化祭の日割りも疑問。二日目が平日という記述があったので、土、日、月でもないし?また、本作品で重要なアイテムとなる、前年の文化祭で売られていた「夕べには骸に」という同人漫画誌も同様。作品のなかで、幾人もの人間が名作と太鼓判を押す作品のはずなのに、その冊子自体を知る人がほとんどいない。え?文化祭というお祭りを舞台にしていて、ちょっと無理がないかい?
細かい設定は、ふつうならリアリティーを増すはず。しかし本作では、すべて裏目に出てしまったと言ってしまうのは、厳しすぎるだろうか。物語以前の、作品世界の構築部分がぼくにはうまくいっていないと思われた。トールキンなら、ファンタジーが失敗したとか言いそうだと。


本作品が、このシリーズの前二作同様、スニーカー文庫という形態で出版されていたのなら、もしかしたら許せた部分なのかもしれない。しかし、本作品は新たな「大人の読者」を意識した単行本での発刊である(と思う)。ならば、もう少し細部を詰めて、リアリティーのある設定・世界を構築できなかったのか?
同じ作家に「犬はどこだ」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/19638588.html ]という作品がある。こちらは主人公が田舎町で犬の探偵を始めるという設定。決してリアリティーがある設定ではない。しかし、ぼくはこちらは許せた。おそらく「犬はどこだ」の場合、冒頭からの荒唐無稽な設定から、それを最初から虚構(フィクション)と意識し読むことができたからだと思う。対して本作が厳しい評価となってしまうのはなぜか。
本作品の場合、小説という虚構世界を意識していても、高校生活、それも文化祭という舞台が選ばれたことで、ぼくは自分の高校生活と重ね合わせ、そこにリアリティーのある青春物語を期待していたのだと思う。共感できるリアリティー、ぼくをはじめとした大人の読者がこの作品を評価するなら、きっとこの部分だと思う。リアリティーの欠如が共感を損ねた。
思い込みの強い読者の勝手な感想。


尤も、決してこの作品が悪いというわけではない。設定や、え、こんなことで、連続事件なんて起きないよ、起こさないよという、つっこみどころがあるのは別とすれば、揺れ動く高校生たちの心情をよく描いた作品。いろいろな点で、いい意味でほろ苦さを残した青春譚、一読の価値はある。


米澤穂信、読んだのはまだ二冊だけだが期待したい作家。小洒落ていて、巧い作家だと思う。ぜひ、今いるライトノベル的な位置から一皮剥けた、エンタティメント作家となることを期待する。


蛇足:実は本作を読むのとほぼ同時に、同じ本読み仲間のでこぽんさから「青春ばとん」[ http://d.hatena.ne.jp/snowkids99/20060201 ]を回してもらいました。回答に当たり、色々高校時代を懐かしく思い出したことも、本作品の感想に大きな影響を与えたかも?はい、ぼくの高校生活は、この作品に勝るとも劣らぬ波乱に満ちた楽しい高校生活でした(笑)。
蛇足2:しかし「『壁』新聞部」はないだろう。