バスジャック

バスジャック

バスジャック

「バスジャック」三崎亜記(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ショートショート、短編、中編、シニカル


「となり町戦争」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/3167077.html ]で架空の町の公共事業としての「戦争」をシニカルに描き、すばる新人賞を受賞、話題を読んだ作家のデビュー二冊目の作品集。「二階扉をつけてください」 「しあわせな光」 「二人の記憶」「バスジャック」「雨降る夜に」「動物園」「送りの夏」ショートショート、短編、中編7編から成る一冊。


どこかで読んだような、設定、話。懐かしささえ感じる匂い。それがゆえに安心して読めた。反面、こじんまりとまとまった印象も否めない。
ただ本書は、一冊の作品にしては前半5編と後半2編の毛色が違いすぎ、ちょっと違和感を感じた。前半5編は、デビュー作ほどではないが、どこか少し斜に構えたような作家のシニカルな香りが漂った。対して後半は、確かに同じ匂いは残るが、より人間を描いており、希望を感じさせている。作品ごとに持ち味を変えるのいいが、一歩間違えば器用貧乏に終わってしまうことを危惧する。いい意味で”三崎亜記”というブランドを確立してほしいと思う。
デビュー作の空疎さとは違うが、個人的には終わり二つの中編「動物園」「送りの夏」がそれぞれ希望を見せる作品で、評価したい。ただ、これらも決して目新しさを感じる作品ではなかったのだが、。


「二階扉気をつけてください」(短編)
二階扉をつけてください。町内の決まりです。回覧板をきちんと読んで下さい。近所に住むと思われる中年女性に家を訪れられ注意をされた。
この町では、家の二階の壁に、何の役にも立たない扉をつけるのが慣わしらしい。出版に関わる私にとって、この町に古くから住む住人たちの書く、回覧板や看板の文章は、とてもセンスがひどく、読む気を起こさせないものであった。町内にひとり立ち向かったところで良いことがあるわけでなく、それで丸く収まるならと、私はさっそく二階扉をつけるにした。見積を数社から取って注文することにしたが、各社の見積もまた理解できないもの。それでも二階扉を設置したところに、妻から電話がかかってきた。生まれたばかりの赤ん坊とともに、丁度家に向かっているところだ・・。
※これは「回覧板をよくお読みください」というタイトルで、中盤の二階扉の不可思議さの記述をばっさり削いだほうが、すっきりするような気がした。


「しあわせな光」(ショートショート
街を見下ろす丘の上に立ち、手にした双眼鏡を覗くと、そこには温かな思い出の姿が・・。


「二人の記憶」(短編)
僕と彼女の記憶が少しずつすれ違ってきている。彼女の話す、僕ら二人の思いでは、僕の記憶にないことばかり。そのズレはどんどん大きくなっていった。
そして僕らは思い出のミニシアターを訪れた。二人が初めて出会った映画館。缶コーヒーと吐息で結ばれた奇跡・・。
※これは、本当に明るい未来なのか?


「バスジャック」(短編)
「バスジャック」がブームである。
地方テレビ局のカメラマンがたまたま遭遇したバスジャックの模様が放映された。その切り取られた映像のドラマが話題になったことから、ブームが始まった。
現代のバスジャックは、バスジャック規制法により定まった形式に則って行われる。犯人は概ね4人組。能楽に見立て、それぞれ別々の役割を振られた「シテ」「ツレ」「地謡」と呼ばれる実行犯。中立な立場で、犯人たちのバスジャックを評価し、バスジャックの要件を充たしているかチェック、ランキングサイトへ通知する「後見」の4人がひと組となって行われる。
ある日、私の乗ったバスが、バスジャックされてしまった・・・。
※前作「となり町戦争」の正統な後継作といった感じ。しかし、オチが読めてしまうのが残念。


「雨が降る夜に」(ショートショート
雨が降る夜、彼女は僕の部屋に本を借りに来る・・。
※心に沁みる物語。余韻とかね。


「動物園」(中編)
ハヤカワ・トータルプランニングに勤める日野原柚月、27歳。私の仕事は予算不足の動物園に赴き、特殊な能力で実際には存在しない動物の姿を、あたかもそこに実存するかのように見せること。しかし、それは長年動物に接してきた飼育係からすれば、軽蔑すべき仕事。
今回も、とある動物園を仕事のために訪れた。そして、やはり、私が自分たちの動物園で仕事をすることに、納得できない飼育係のテストを受けることになった。テストは無事合格したようだ。私は、ベテラン飼育係野崎に認められ、そして心の交流を感じた。
空っぽの檻で孤高のヒノヤマホウオウを見せる日が続いた。しかしある日突然、契約は今日まででいいと言われた。ライバルのSKエージェンシーが破格の値段を出してきたのだ。
その日私は無理を言って、野崎さんに行きつけの飲み屋に連れて行ってもらった。
「自由とか、束縛されないとか、そんな上っ面な言葉に乗せられて檻から出ようとするばっかりが正しいことではないと思う。ゆっくりでいいんじゃないかい?」
仕事の、そして生活の檻に束縛されていると感じ始めた私に野崎さんは優しく語る。
そして、動物園では未熟なSKエージェンシーの若者によって、事件が起きる・・。
※アイディア、設定はよし。そして、それだけで終わらず”檻”という概念を作家が自分なりに消化して描いたことがよかった。


「送りの夏」(中編)
いつも自分勝手なことばかりしているシナリオライターの母親、晴美が、小学生の麻美と父の康之を置いて、突然失踪した。両親は自分たちをそれぞれ独立した存在とし、また麻美を独立した子どもとして育ててきた。そのキョウイクのたまもので、麻美は両親の人生と自分の人生は別物という意識をもっていた。しかし、今回の失踪は、あまりに自分勝手ではないか?憤る麻美に、父の康之は「大人の事情」だからと澄まし顔。
父の手帳を盗み見、母の居る「つつみが浜」に辿り着いた麻美。母が居た「若草荘」には、精巧な人形のような人間と暮らす人々がいた。車椅子に乗せられ、しかし、微動だにせず、視線さえ動かさない。人間?人形?そして、物言わぬ中年男性を直樹さんと呼び、車椅子を押す母の姿もあった・・。
若草荘の人々と過ごす麻美の日々。認めたく愛する人の死を受け入れること・・。
娘のあとを追い、若草荘を訪れた父康之と麻美の会話が胸を打つ
「信じてるんだね」「信じている、というより、信頼しているんだ」「信じるっていうのは、一方的な気持ちの押しつけだ。信頼するっていうのは互いの存在や考えていること、やろうとしていることを認め合える関係のことなんだよ。」
ひと夏の経験は、少女を大人に成長させるのだろうか・・。
※こういう少女が(あるいは少年が)、ある事件を通して成長していく小説は大好き。どこかで読んだような話しという印象が否めないのが残念。もう少し、父娘に、あるいは母娘にスポットを当てたほうがよかったのか。ただ、個人的には決して評価は低くない。