スイッチを押すとき

スイッチを押すとき

スイッチを押すとき

「スイッチを押すとき」山田悠介(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、近未来、SF


!ネタバレあり!そして、またもや辛口!


いわゆる「本を読む人」には、あまり評価の高くない作家。借りている本が山となり、貸し出し期間をオーバーしそうになったので、ちょっとこれは無理かなと思いあきらめかけていたが、読み出したら存外読みやすくおもしろく思えた。なんとか読了。評価、正直やっぱりこれは評価できない。


2007年、増え続ける若年層の自殺者、ただでさえ少子化にともなう重い税金負担のなか、早急な対応を求められた政府は、人権保護団体の猛烈な抗議を受けながら、翌2008年青少年自殺抑制プロジェクトを立ち上げた。青少年の深層心理解明のため、全国から無作為に抽出された子供を高ストレス環境に置き、その精神構造を解明するために。
無作為に選ばれた子供は5歳で心臓の手術を受けさせられる。5年後に突然家族と引き離され、全国に点在するセンターに連れていかれ、そしてそこでスイッチが渡される。押すと、心臓が停止するように作られた命のスイッチ。スイッチの意義を充分説明された子供たちは、センターのなかで監視のもと息苦しい環境下で生活をする。そして、ひとりひとりと自らスイッチを押し・・。
2030年11月。ひとりの職員が八王子のセンターから、横浜のセンターへ異動した。南洋平、27歳。移動先のセンターで南は驚くべき事実と遭遇した。横浜のセンターには入所以来7年も生き続けている、4人の子どもがいたのだ。
高宮真沙美、新庄亮太、小暮君明、池田了。彼らの目は死んでいなかった。
希望も見出せない施設で、明るさを失わない高宮。新しくはいってきた南に怒鳴り、反抗する新庄。車椅子に座り、絵ばかり描き、言葉を発しない小暮。そして、幼馴染で別の施設に入っている少女を想う池田。四人の子供と交流を試みる南。ある日、一人の子供が希望を失ってスイッチを押した。
一人の子供の死をきっかけに、南は子供たちを連れて施設を脱走した。政府と警察に追われる中で、四人の逃亡生活が始まる。そして・・。


平易な会話体の文章で進む作品。描写力どうこうという意見もネットでは見られたが、個人的には文章はそれほど気にならない。読み易い一冊。
問題は中身。個人的に、希望がない物語には評価が低い。いや、たとえ希望がなくても、そこに必然があり、あるいは納得や共感があれば決して評価しないワケではない。辛口と言われても、それなりに基準を指し示し評価しているつもり。そうした自負のなかで、他の多くの「本を読む人」同様に評価できないのは、この作品がただ徒(いたずら)に死を弄(もてあそ)んだ小説だから。
必然のない死。簡単に選ぶ死。この小説を良しと評価する人が、何を良しとするのか理解できない。あざとい寂寥感?それとも、一冊の本を読み終えた満足感?そう簡単に泣くなよ。泣くことって、もっと重く、大事なこと。


なぜ、作家は希望が書けなかったのか?子供たちを襲う政府による無謀な政策という点、平易で読みやすい文章、そして未来を担うはずの、希望をもつべき子どもの死をテーマにしたということで「バトルロワイヤル」(高見広春)と並べる意見も多く見られたが、少なくとも「バトルロワイヤル」は、最後に一片の期待を残した。俺は運命に立ち向かって生きてやる。
対して、本作品は・・・。最後のどんでん返しを見せたかっただけ?必然とも思えない運命を、言葉だけで弄んだ。そして、尤も許せないのは主人公の運命を他人(ひと)に委ねさせたこと。
主人公が最期に受け入れる運命。まず、それを受け入れること自体に共感できない。いや、百歩譲って、政府の掌の上でゲームのコマよろしく踊らされていることより、自分で選んだということを書きたかったとし、それがテーマであるとしても、それはきちんと自分の責任で始末をつけるべき。ほかの誰のものでない自分の運命であり、自分の生命である。しかし、作家はあらすじを進めるためだけにあっさりと切り捨てる、そのほうが悲劇的だから。付け加えるならおもむろに明かされる主人公たちの母の真実、運命も見事にご都合主義。


生き残った四人のなかの一人がスイッチを押したとき。そのことをきっかけにして、施設の職員と三人の子どもが施設を逃亡するまでは、ありがちな物語とは言え、もしかしたらと期待をした。多くの「本を読む人」が言うほどそれほどに悪くないのでは?
しかし、それは間違いだった。その後が駄目だ。子どたちは、それぞれの思いを遂げた後は満足してしまう。7年間も生き延びてきた彼らが、あっさりと。この作品では、子どもたちが7年間も生き残るのは稀有なこと。そこまで生きつづけることのできた執念があれば、この後も生きていこうと思わないのか。残された三人のうちの一人があっさりスイッチを押したときにこの作品がただの読み物であることがわかった。そして、物語はまさしく予定調和のように進んだ。無意味な最後のどんでん返し。物語を劇的に終わらせるためだけの演出。
決して読めない作品ではない。気軽に、ちょっと予定調和の悲劇の物語を読みたい、そういうときには読める作品。しかし、間違っても小説に何かを求めようと思うときに読む本ではない。


蛇足:各設定の荒唐無稽さ、設定の甘さは、敢えてあげる必要のないほど稚拙。しかし、それでも、物語が成立しているなら、それさえ許されると個人的には思っている。
蛇足2:辛口ばかりが続いてますが、ぜひ反論して欲しいと思っています。発表された作品(小説・漫画・映画・音楽など)には、いろいろな読み方、受け取り方があって然るべきだと信じてます。