ララピポ

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「ララピポ」奥田英朗(2005)☆☆★★★
※[913]、国内、現代、小説、低俗、エロ、お下劣


久々に、評価に値しない本を読んだ、というのが率直な感想。
本書の帯、「いや〜ん、お下劣。※紳士淑女のみなさまにはお薦めできません。(作者)」は大当たり。良識ある本読み人は読んではいけない。はっきり言おう、時間の無駄。
とにかく、お下劣で低俗。この作品を読んで得るものが何かあるかと言えば、何もない。
読み物と割り切って読めるならば、いい。しかし「奥田英朗」に何かを期待するならこの作品は手を出すべきではない。連作短編で描く低俗な人々の群像譚。六編の短編それぞれの主人公がどこかで繋がる形式。


第1話WHAT A FOOL BELIEVES
杉山博32歳。対人恐怖所のフリーライター。高学歴だけが唯一のプライド。自分の部屋に引きこもり、プレス・リリースを引き写した製品紹介の記事と、貯金を切り崩し糊口をしのぐ。上の階に住む若い男性が、夜な夜な若い女性を連れ込んでいる。耳を澄まし、処理する杉山。そんな杉山が図書館で小百合というデブでブスな女と出会う。


第2話GET UP, STAND UP
栗野健治23歳。スカウトマン。街で見かけた女性を風俗店に送り込む。その上がりの数パーセントがコミッション。女が店を辞めれば、そのまま収入が減る。だから、女のご機嫌取りも仕事のうち。そんな栗野がトモコというデパートに勤める女性をスカウトした。地味でおとなしかったトモコは、栗野のいうことを聞きAVに出演することになった。先輩に押し付けられた、色狂いの43歳の人妻と「親子丼」の企画モノAV。


第3話LIGHT MY FIRE
佐藤良枝43歳。主婦。一人娘を高校卒業から就職させ、手のかかる家族がいなくなった。毎日が日曜のような自堕落な日々を送る。隣人の郵便物をこっそり抜き去り、バレないように開封して読むのが趣味。隣家は最近、飼い犬を巡り、脅迫文が投げ込まれている。一方、良枝は街でスカウトされ、AVに出演していた。夫との性交渉も十年近くなかった身体が、ここにきてエクスタシーを感じるようになった。取り返すかのような、自慰と、セックスを求める日々。
そんなある日、家から異臭がすると近所から言われ、清掃事務所がゴミの引き取りに来るとやってきた。人に見られては困るものがある良枝は・・。


第4話GIMMIE SHELTER
青柳光一26歳。カラオケボックスで働くフリーター。昔は夢も、希望もあったはずなのに。人に頼まれ、あるいはちょっと脅かされると嫌とは言えない小心者。新聞を二紙もとっているのに、その上に・・。そして断れなかった商品のローンも山ほどある。勤めるカラオケボックスも、ポン引きのポンちゃんに弱みを握られ、女子高校生の風俗店のような有様になってしまった。
アパートでは、近所の犬が連日吠えてやかましい。飼い主には何とかしろと、連日脅迫状を送っているのに、梨のつぶて。もう、我慢できない・・。


第5話I SHALL BE RELEASED
西郷寺敬次郎52歳。口述筆記エロ小説家。パターンの決まった話でも、出せばコンスタントに売れ年収2,000万円。しかし、売れているとはいえエロ小説ではなんとなく肩身が狭い。三流出版社に払わせている銀座の文壇バーでホステスをはべらせても、有名な作家がやってくれば、波がひいたように皆そちらのほうへ。そんな西郷寺の唯一のプライドは若い頃取った、純文学の新人賞。いつか、またハードカバーで純文学を出版したい。いっぽう、西郷寺の最近の楽しみは渋谷のカラオケ店で女子高校生と淫らな関係になること。金さえ払えば、若い肉体を存分に楽しめる。そんなある日、カラオケ店に警察が踏み込んできて・・。


第6話GOOD VIBRATIONS
玉木小百合28歳。テープリライター、今日もおなじみのエロ作家の口述テープの原稿起こし。最近、何かあったのかしら。以前から露骨さが売りだったのに、最近ロリータ色まで加わった。以前は会社に勤めていたが、とくにこれといった特技もなく、デブでブスな小百合には再就職先が見つからない。簡単な事務仕事なら、可愛い娘のほうがいいに決まっている。そんな小百合の秘密は、図書館でひっかけてきた風采の上がらない男たちのとのプライベートセックスを、こっそり盗撮して、アダルトショップに販売すること。ふつうに街を歩いていたら、鼻にもひっかけられないような小百合だが、マニアの世界では超売れっ子。撮影したDVDは何十万円で引き取られる。とくに、小百合のひっかける駄目な男たちの小百合には見せる卑小な優越感がマニアにはたまならないそう。今日も、図書館でひっかけた郵便局員がセックスのみを求めて小百合のマンションへやってきた・・。


どこかで読んだことがある、そんな気がする作品たち。あ!これ、奥田英朗出世作「邪魔」「最悪」と同じ作風。駄目な奴がどんどん連鎖して駄目になっていく、そんな小説。ただ基本的に本作品は下ネタばかり。そして、作品の主人公たちも「邪魔」や「最悪」ほどに運命に翻弄されるわけでもない。彼らは落ちるところまで落ち切るわけでもなく、また他の人と触れ合うことで成長する訳でも、変わる訳でもない。そこにあるのはバカバカしさだけ。得るものが何もない。だから良識ある本読み人にはオススメしない、できない。オススメなんかしたら、きっとぼくの人格を疑われる。
もし、こういう底辺のぶっとんだ人々の群像譚を読みたいなら、戸梶圭太をオススメする。戸梶圭太は、本作の十倍も、二十倍もぶっ飛んだ人々を活き活きと描く。そして、本作より「何か」を感じさせる。また戸梶同様に、低俗なエロと、加えて暴力も、なら初期の新堂冬樹。最近、すっかりいい人を演じている新堂冬樹だが、ほんのニ、三年前までの新堂冬樹の作品は凄まじい勢い、迫力があった。
尤も、戸梶にしても、新堂にしても、あくまで「読み物」として読み、そしてほんの少しの何かを感じる作家であり、作品である。故に決して良識ある本読み人にオススメできるモノではないこと。改めて断言する。でも、ぼくは戸梶、そして初期の新堂冬樹は好きだ。
奥田英朗の作品のレビューでありながら、まったく別の作家を褒めるというのもおかしな話。ま、それくらいこの作品はどうしようもない作品だということ。
これを今奥田英朗の本として、ハードカバーで出版した出版社の良識を疑う。そう思ったら、幻冬舎か、流石。伊達に多数のベストセラーを生んでない。いい意味、悪い意味で、侮れない出版社。ちくしょう。図書館の本で良かったぜ。


しかし、主人公の大半がデブでブスやらハゲという典型的なイケていない人々。自分を律するということを忘れた人。同じタイプの駄目人間ばかり集めたのは、意図?それとも稚拙なだけ?
「いろんな人がたくさんいる」がオチなら、もう少し駄目人間のパターンを変えた方が良かったのでは?ちょっとワンパターンすぎる感。